無意識日記々

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Sole Voice of the Soul

ヒカルの歌の特徴として、「あんまり他人の声が入ってこない」というのがある。再三私も「LIVEではバックコーラス隊が居た方がいい」と言ってきているが、基本ヒカルひとりで歌は賄われている。

彼女も別にデュエット等が嫌いな訳ではない。One Night Magicもあったし、GBHではSynergy Chorusを起用している。主義としてのこだわりではなく、必要となった場面では素直に他者の声にご登場願うのである。

何故そんなに他者の声を起用する場面が少ないのかといえば、ヒカルの声を使った方がいい場面ばかりだからである。Synergy Chorusのケースでですら、NHKでヒカルが彼女達に歌唱指導している場面を見た私に「そんだけ歌えるんやったら自分で歌たらええがな」と言わしめる位なのだ。大抵はバックコーラスも何もかも、ヒカルが歌った方が上手く行くのである。

デュエットもそうだ。Promise I do. 大黒摩季といえばJpopシーン屈指の歌唱力を誇る女傑である筈なのだが、あの曲でヒカルが歌い出した時の空気の変わりようは異常である。完全にシンガーとしての格が違う。それが直に伝わっちゃうってデュエット相手としては大変過ぎる。Ne-yoとのデュエットも、何だか弟を見守るお姉さんという雰囲気だったし。まぁ同じ曲(DoYou)でメアリーJが歌っていてヒカルの歌も霞む出来だったのは圧巻だったが。上には上が居るもんだ。まぁアレサ・フランクリンと並び称される20年に1人の天才、20世紀の西洋世界を代表する歌手と較べるのもあれなんだが。あれ毎回同じ事書いてないか俺。

話が逸れた。まぁつまり、ヒカルが他者の声を必要とする場面が今までたまたま少なかっただけ、という話なのだが今後そういった場面は増えていくだろうか。

どうにもヒカルにとっては「歌はひとりで歌うもの」という基本路線がある気がしてならない。というか、何だか「合宿」という発想が薄い気がする。ハーモニーやオクターブユニゾンや輪唱や掛け合いや、複数の声部を駆使した楽曲というのをなかなか作らないような。要はBohemian Rhapsodyみたいな曲だ。なんというか、声を楽器のように扱ったアンサンブルというのにまだ本格的に手を出していない気がする。

多声部を用いた楽曲もあるっちゃある。Passionなんかはゆったりした歌メロの後ろ遠くで張り裂けんばかりに絶叫してたりするし、UtaDAではOn And Onで後ろで男の野太い声がする。あぁでもこれはプロデューサーの趣味でヒカルのアイデアじゃないっぽいけど。

でもやっぱり基本は「真ん中にどん!とひとりで歌う歌があって」という感じだ。合唱と書いたが、例えば虹色バスなんかは一見合唱向きの曲にみえるかもしれない。しかし、ご存知の通り終盤の歌詞が「誰も居ない世界へ私を連れて行って」である。集団でこれを歌われたらちょっと怖い。やはりこういうのは「独りから独りへ」というベクトルを感じる。

寧ろ、誰か他の人をプロデュースした時に和声的、多声的なアイデアが出てくるかもしれない。そうなった時にバックコーラスの声がヒカルだらけだったら笑える。「だって自分で入れるのがいちばん手っ取り早かったんだもん」。いやそれなら最初っから他人のプロデュースなんて引き受けないか…(苦笑)。