無意識日記々

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みるくごしにみるくま

みるくさんについては語るポイントが幾つかあるが、いちばん大きいのはやはりくまちゃんの贈り主であるという事だろう。2006年1月19日以降、「宇多田ヒカルといえばクマ」という一般常識(?)を生み出すキッカケとなったのが彼女の誕生日プレゼントなのだ。のちにヒカルはぼくはくまを「最高傑作」と称するまでになる。うっかり「くまを除く」と発言してしまったDJに対してブチ切れ寸前まで行った(のがわかったのはファンだけだろうけど)エピソードは今や語り草になっている。(主にここで、だけど)

親友から贈られたぬいぐるみを溺愛する、というのは、ステレオタイプに言ってしまえば男にはわからない感覚だ。義兄弟と杯を交わす、なんて事はあるかもしれないが、そこにあるのは絆への拘りであったり義理立てであったりする。何かモノを貰って「大切にするよ〜」というノリは、女子同士に特有…は言い過ぎにしても、どちらかというとそっち、という雰囲気がある。

それにしても光のクマチャンへの溺愛ぶりは凄まじい。何故そこまで愛せるのか未だに不思議な位だ。慣れたといえば慣れたけど。

そうなったのは、クマチャンが親友の代わりになった、というよりは寧ろ、その時に光にとって何が必要なのかを誰よりも的確に見抜いた、いや、もっと踏み込んで言えば、彼女が贈るからにはそうならざるを得ない、といったような、お互いに対する深い理解と強い絆があるように感じられる。

女子同士の親友、といっても2人の場合は"いつも一緒"というタイプの関係ではない。会うといってもごくたまに、でありその時顔を合わせて頷き合えればそれでOK、といった具合である(念の為に言っておくけど、完全に私の勝手な妄想ですよ)。その彼女から贈られたクマチャンに対しては光は基本的に"いつも一緒"を通してきた。彼の為に飛行機のチケットを取ろうとする事など当然である。ベッタリでない関係からベッタリな関係が生まれるというよくわからない構図である。ヒカルのこどもっぽい部分を暴き出したその手口は放っておいたら世界を支配しかねない勢いだ。何を言ってるんだ私は。


兎も角(こほん)、ヒカルの人生に決定的な影響力をもつ人物である事は間違いない。ただ、ヒカルはクマチャンを通してみるくさんを見ていた訳ではなく、いや、それもあるにはあるだろうが、それよりもっと大きく豊かな世界を手に入れた。それは慈悲であったり母性であったり、宇宙であったり、最終的には光自身であったりした。そこまでの"旅"を宇多田ヒカルに見せるキッカケを作れる人が一応一般人の方だというのがいちファンとしては"やりにくい"んだが、引き続き彼女にまつわる話を進めるとしよう。