無意識日記々

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八朔の朔にしんにょう

で、更に話を遡るとそもそも私が「DISTANCEは苺&みるくの事を歌っているような気がしてならない」なんて事を書いた所からDISTANCEとFINAL DISTANCEの比較論は始まったのだ。果たして、その先入観は当たっていたか的外れであったか。

結論からいえば、DISTANCEについていえば「よくわからなくなった」、FINAL DISTANCEについては「(きっぱり)違う」という感じか。後者については明快である。これは答を出す、出した歌なのだから。苺&みるくの2人の絆は強い。『やっぱりI need to be with you』だなんて答に"とうとう辿り着く"なんてこたない。そんなものは2人にとって出発点に過ぎない。

ここで更に話を遡らなければならない。そもそも^2、今はMaking Loveの歌詞の話だったのだ。DISTANCEはその派生に過ぎない。あの歌でヒカルはきっぱりこう歌っている。『どこから始めよう』と。つまり、この歌は言いたい事が何なのか思い悩む歌ではなく、極端に言ってしまえばただの確認作業なのだ。確かだと認める歌。曲調が確固として迷いがないのはその歌詞と無縁ではない。DISTANCEとFINAL DISTANCEにみられたように曲の雰囲気と歌詞の内容はリンクしている。Making Loveの柔らかで爽やかでしかし揺るぎないこの感触は、そのまま苺のみるくに対する思いそのものなのだ。

という訳で色々と躊躇や逡巡を通り抜けて答を出すFINAL DISANCEは苺&みるくの曲ではない。何か別の「2人」を唄った楽曲だ。しかし、だからといってDISTANCEもそうであると断言するのは憚られる。光は"物語を読み替える"からだ。

光は恋愛の歌とみせかけて他のテーマを唄うのが得意だ。いちばんあからさまなのがEasy Breezyだろうか。あれは男女の出会いとみせかけて、日本と米国の関係を唄った歌である。だからコニチワ,サヨナラと日本語が出てくる。そこまで大きくなくとも、母への歌を恋人への歌に"偽装"したと思しき歌なんかも、これまでに指摘してきたように存在する。主人公の性別を入れ替えるなんてのもお手のものだろう。つまり、男性を女性に入れ替えて男性の気持ちを綴っているかもしれない歌詞もあるという事だ。そういう思考回路だからこそ"You Make Me Want To Be A Man"なんていうややこしいフレーズを思いつくのである。

従って、結果出来上がった曲は男女の歌かもしれないが、"元々は"、みるくさんとのエピソードが発端になっている、というケースも考えられるのだ。

しかし、それを言い始めたらあらゆる曲をそう疑ってかかれるようになるかもしれない。それも行き過ぎだなぁ、と思う反面、もしかしたらそうかもしれない、とも考える。まず身近な人にどう話し掛けるか、というのがいつも歌詞の取っ掛かりになっているとしたら、という想定である。ここらへんは、過去のインタビューや何やらを掘り返してみないとなかなかわかりそうもないな。点でも読み返してみるか…電子書籍化を激しく希望。あれかさばるんだもん。