無意識日記々

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居るも八卦居ないも八卦なハッタリ

DISTANCEと比較すべき歌詞は寧ろWINGSではないか、と先般ちらと触れたが、何が参考になるか見てみよう。

この2曲は、少し2人の心の間に距離が出来て言いたいことが言えなくなっている状況について歌っている。この点は共通している。一方何が異なるかといえば、DISTANCEが『今ならまだ間に合うから』と未来に希望を抱いているのに対し、WINGSは"何となく全体に"諦めている風だという点だ。

確かに、歌詞の中に諦めを直接匂わすようなセンテンスは出てこない。しかし、『大胆なことは想像するだけ』『大きいばっかりで飛べない羽』と自分を卑下するような流れが出来ている。それでも何とか『向かい風がチャンスだよ今飛べ』と前向きに自分を奮い立たせるのだが、それも最後に『夢見てるよ大空』と上を見上げるばかりで実際に飛ぼうとはしないのだった。こういう風に"何となく"諦めている。

当時のインタビューで「夫とか恋人には親友としての側面もある」旨を光は語っていたが、その字義通りWINGSは夫とのすれ違いを素材にして唄われたものだろう。ここから気をつけるべきなのは、だからといってWINGSの描く物語が総て現実に根差しているとは即断できない、という毎度の注釈である。例えば宮沢賢治を読んでいたのは全く別の時期かもしれないし、読むかもしれないなぁという想像かもしれない。また、曲の中の『あなた』がひとりだけを指すとは限らない。歌詞は日記ではないのだ。虚構と現実のミックスは結局虚構である。そこで何が起こっていたかを推察する為の材料としては相応しくないのである。

そういったことは百も承知の上で『(あなただけが私の親友)』と歌われた時のみるくさんの心境を想像してみる。普段あまり会わないだろうから、聴いたとしたら恐らく完成品だろう。自分以外の人間を親友と呼ぶ苺に対して、どんな感情を抱くだろう…

…「歌詞だし。」で済ませそうな気がするなぁ、あの人なら。細かい事を気にしているようでは宇多田ヒカルでもある人の親友なんて務まらないだろうからな。という事は、ヒカルが作詞する際、彼女の事を想う事はあっても気を煩う事はない感じかな。なんか頼もしいな。寧ろ、彼女が居るから親友という単語を歌詞で堂々と使える、という事か。歌詞が現実に基づいていても虚構に基づいていても、いずれにせよ光には親友が居る。ふむ、これは作詞する上で強力な味方だな。「あなた」と口にした時に必ず思い浮かべられる相手が居るんだから。