無意識日記々

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湯水のように

貨幣経済から自由といっても、周りの人達と仕事している以上そのしがらみは消せる訳でもない。

ヒカルの場合Webでの評判が頗る良いのは商業主義的なイメージが極めて少ないからだ。一方数多居るアイドルたちは稼げば稼ぐ程悪評に埋め尽くされていく。売れなきゃ売れないで叩くのだから結局バッシングは消えないとはいえ、Webにしか居場所のないパーソナリティたちにとって実体経済の感覚自体が嫌悪すべき対象なのだと言えなくもない。

確かに、この好評と引き換えにヒカルは儲けられるレベルを随分と下げて活動している。それを幸せと言うべきなのかどうか。アイドル勢に"蹂躙"されるチャートを見て「宇多田早く帰ってきてくれ」と言う人も多いが、帰ってきた所でCDを買ってくれるかというと、ねぇ、、、。

ファンとしては間違いなく幸せである。要はフルタイムの活動を担保してくれるだけの稼ぎがあればいい訳だからそれは既にクリアしてるというか運命付けられているというか造作もないというかどの表現が正しいのかはわからないが、お陰様で"Webの心地よさ"みたいなものに十分浸らせて貰っている。至福むべなるかな。

そう考えると既に貨幣経済から随分と自由だなーとは思うのだがそんな光がエネルギー問題に関心があると。311以前からの話だから俄かと謗るには能わない。エネルギーとはそれは経済問題である。こちらの保存則はガチだし寧ろエネルギーを参考にして貨幣経済は形作られている。何故光の興味がここに来たのか、そして結局"どうしたい"のか、それは今の所よくわからない。しかし真正面から取り組むとなると徹頭徹尾お金の話になるだろう。それを望んでいるのか、それとも、Webで培った文法を実体経済にも持ち込んでみたいのか。例えばそれは、前回触れたベーシックインカムのような哲学である。

例えば日本の多くの人達にとって水は殆ど"使い放題"のレベルで捉えられるインフラだろう。電気もそれに近い側面があるが、水に比べれば使用量が料金に跳ね返り易い為そこまでの感覚はない。インターネット定額繋ぎ放題>水道料金>電気ガス料金みたいな感じか。電気料金が少なくとも水道料金なみに、つまり"湯水のように"使えるようになれば、それはかなり経済活動から自由なファクターになれそうだ。尤も、水の方も別に"安泰"という訳でもないらしいが…。

話が大きくなってるというか逸れてるというか。兎に角、物々交換・等価交換といった感覚・習慣から、昔でいえばもっと"慈悲深い"世界観に移行しようとしているようないないような。光が"狙って"いるのがそこらへんだとしたら、さてそれって音楽活動にどんな影響を与えるのやら。続きはまたWebで。っていやいつも通りここで、ですがね。