無意識日記々

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体験の複製力・再生力

年末に書いた通り、通常営業中からずっと「展望」なるものを書いている身からすれば、年始だからといって特にあらたまる事もなく。年がら年中年末年始とでもいいますか。何やねんそれ。

前々回書いた通り、"音源の購入"は少しずつ"チケットの購入"と大差なくなってきている。今まではレコードやカセットテープやCDといった物品(マテリアル・フィジカル)と金銭の「交換」だったものが「権利と金銭の交換」に移行しつつある。もっとも、もともと貨幣とは使用の許可や所有の自由といった"権利"の物象化なので、本来の意義を取り戻したと言ってもいいのだが。

「体験の許可・権利」となった音源の販売の特徴、及びライヴコンサートチケットとの差異は、従って、「体験の複製力・再生力」の差異という事が出来る。ライヴコンサートというのはその日その場所での一期一会の体験でしかないが、音源には「複製」と「再生」がある。再生は所有者に認められた権利で、かつアナログレコード時代からそれは基本的に「何度でも同じ体験が味わえる」と保証されたものだった。(厳密にはそうではない:再生媒体は劣化するし、第一制作環境と同じ再生機器を揃えている消費者なんて皆無なのだから)

しかし、複製となると話は違っていた。アナログレコードをプレスするには大掛かりな装置が必要だったし、カセットテープは音質が劣化した。そして、そうやって複製したマテリアルは物質なので人の手に渡すにはそれなりの労力が必要になった。

90年代以降それが変わる。PCやCD-Rの出現により無劣化複製が容易となり、インターネットの普及によって流通のコストが皆無となった。

この、複製と流通の陳腐化が事態を難儀にしているのは周知の事実だろう。レコード会社もCCCDやらで悪戦苦闘しながら10年が過ぎた。なかなかこれという解決策は見つからない。私もわからない。

元来、著作権とは(C)のマークからわかる通りCopy Right、複製権の事である。ライヴと音源の違いは、その体験複製力の違いと言っていい。


ならば、である。先月からずっと話題にしてきた、そして、先月の熊淡7のテーマであった「ライヴ盤」とは一体何なのだろう。理想的には、これは「ライヴコンサート体験の複製」であってもいい筈なのだ。音源に較べ、ライヴコンサートチケットというのは遥かに割高である。複製も再生も出来ないし。それでも人はライヴに行く。であるならば、もし「ライヴ盤」が今後技術の進歩によってもっと"進化"していったら事態はどうなるだろうか…という話からまた次回。