無意識日記々

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熊を楽しく擽る才能?

いかん、『ロン・ウッド歯』がじわじわ来る。これから何度も思い出し笑いしそうな予感。「ろんうっとば」ですよ。いやろんうっどし?でもそれじゃロン・ウッド氏みたいで普通だな。やっぱりここは「ロンウッドバ」で。ロンウッドバ。ほら、なんかじわじわ来ない? 来ないかー。

この人が誰なのかはヒカルが解説してる通りなので特に付け加える事はない。この人、確か20年近く"雇われ"で正式メンバーじゃなかったんだよね。あれだけビッグなロックバンド他にないから雇われででも帯同したいって気持ちはわからなくもないが。それにしても鈴色な話だ。あれ、漢字変換がなかった。まぁ涼しげだからいいや。

ロンウッドバ。しつこい。

こういう、擽りの笑いに弱い。爆発するように笑いが取れるのではない、小さな笑いの積み重ね。これを縒り合わせていくと次第に笑いが込み上げてきてこらえられなくなって…という具合。今回のロンウッドバは単発だけど、こういうのが続いていくと面白い。ヒカルの笑いのセンスは相当のものだが、例えば4コマ漫画なんかはこういった"くすりとくすぐる"類の笑いだ。いい。実にいい。何の話だっけ。あれ前回エネルギーがどうのこうのとかいう真面目な話してなかったっけ。どうでもいいか。人生に勝利者が居るのなら、笑いと笑顔を作り出した者にその照合を与えるべきだろう。笑いこそは実存であり哀しみは空を切る。光とはその中心の話なのだ。あれ、今度は何だか哲学的だな。

毎度読者諸氏には当欄を読んでうただいていながら大変申し訳ないのだが、あたしゃなかなか笑いが取れない。まぁ笑いに来てるんじゃないし、というのが私をはじめとした読者の言い分だろうがもし明日私に笑いを取れるセンスが生まれたらこのblogはあっさり路線変更してふざけまくるだろう。何だか(私の中で)笑いとはそれ位強い存在なのだ。

笑いは取れなくても笑顔なら生み出せるかもしれない、だなんて書くと笑顔って軽いのかと思われそうだがそういうつもりでもない。そっちのフィールドならまだ向いているかも、と思っただけだ。例えば、新しいエントリーがあがった、というだけでほんのり笑顔が生まれるというのなら筆冥利というものだ。それで十分いや十二分に過ぎる。それ位期待される日々の内容であって欲しいが…まだまだだなぁ。

ロンウッドバのどこが面白いのだろう? 自分でも不思議だ。マンドリコワ、雨の重馬場、アジスアベバ、、、うーん、やっぱりロンウッド歯かなぁ…。何の話をしているのだろう。いいのか今夜の更新こんなんで。

ワイルドライフのDVDなんかを見ていると、"笑顔が広がって"いくのがわかる。ヒカル自身がいちばん笑っている…というか笑いを抑え切る事が出来ずにいるのはやっぱりぼくはくまだ。あの笑顔を見られただけでもあの歌を唄う価値はある。なんて言い方が野暮になる位こみあげる嬉し笑顔が止まらないヒカルだ。笑顔は広がるものなのだ。中心に在る光がまず笑っていなければいけない。真ん中に実存を配すればそれはとても眩しいものになる。哀しみは遠くの夜空に消え去るかのようだ。それでも闇はまだまだ深い。

ロンウッドバ、と一言記してみただけでこんなこんがらがったエントリーが出来上がった。これが笑いというものなのだろうか。支離滅裂でありながら、確かにそこには慶びがあった。確かに、これは実存である。ヒカルの笑いのセンスの小さな進化こそ、人間活動の最大の成果なのかもしれない。




……ロンウッドバ。うぷぷ。