無意識日記々

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エゴガナイナラ卑屈ニナレバイイジャナイ

ヒカルの最大の特徴のひとつとして、基本単独で創作に取り掛かるシンガー・ソングライターであるにも関わらず、活動形態にエゴイスティックな側面が極端に少ない事が挙げられる。平たく言えば、あれがしたいこれがしたいとあんまり言わない。大体、レコード会社からの要請、タイアップ相手からの要望、ファンからの希望などを勘案して、それらのパズルの解として活動様態を決めていく。

ある意味プロフェッショナルに徹しているとも言えるが、一方で要請や要望や希望の中にかなりの割合で「宇多田ヒカルらしく」という要素が含まれている為、そこで自分を表現してしまえばよく、自分からは求めていないのに自己の表現欲求を満たす機会を得られるようになっている。ならばまぁいいのかな、と思える。

だからこそ弱い、とも言える。昔書いたが、「私はこれこれこういうことがしたいから、こういう協力をしてくれ」というような事を、特にファンに対して言わない。なのに毎度ファンを満足させ続けてきた品質の高さは驚嘆に値するが、だからこそファンはヒカルに対して卑屈になるか無関心になるかしかない。なかなか偉そうになれない。

私などはその精神構造が骨の髄まで染み付いているから、もしヒカルが今後ワガママを言うような局面に立ち会ったなら思いっ切り戸惑うだろう。「活動してくれてありがとう」は1000回言っても噛みそうにないが、「応援してやる」は最早「る」に辿り着く自信が無い。…ちょっと病気かもしれない。

でも、それでいいのかどうかは、よくわからない。何というか、ファンとして精神的に優位に立ちたいという願望があっても何らおかしくはない。「応援してやってるんだからもっと頑張れ」と"言いたい"人は結構居る気がする。「こっちから頼んだ覚えはないわ」と切り返すのは格好いいのだが、経済市場での振る舞いとしては禁じ手である。

そんなドM上等(ヒカルに対しては、だが)自分でも、ヒカルに感謝されたなら嬉しいだろうな、とは思う。なんだろう、お姫様に「よく頑張りました」と褒められるような感じか。向こうが精神的に優位にあるのは揺るぎない(普通そういうのを「惚れた弱み」という)が、その中で少し緩められたら、効くなぁ。


…よくわからない妄想は置いておいて。卑屈になり過ぎるのもよくない。ヒカルの方も困惑するからである。出来れば、「何があっても」とか「いつまでも」とか力まずに…無理か。無理だな。

ヒカルのアティテュードだと「浅い付き合い」が求められているのは間違いがない。他方、我々は、ものによってはヒカル自身よりエピソードを覚えていたりして、まるで小さい頃から知ってる親戚のおじちゃんおばちゃんみたいになってる事もある。これは、重いまではいかないまでも「あの連中にずっと見られているんだな」というプレッシャーには、なる。

要はヒカルの人生の一部になってしまえばいい。あの人のリアクションがないと何か寂しいな、と。でもそれ一介のファンには無理かなぁ。50年も続ければそう思ってくれるようになるだろうか。それを楽しみにできれば、卑屈な態度だって正当化できる。気の長い話だ。