無意識日記々

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お菓子と手足

いやいや、そういやウチでも『お菓子』と『手足』が韻を踏んでるって書いた覚えがないぞ。(瀑汗) あれだけ書いても書き落としてるもんなんだねぇ…。他の音韻については2011年1月中旬あたりに幾つか書いてるので参照の事。[GBH]のタグがついてるヤツね。
http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/m/201101

なお、この『甘いお菓子』と『日に焼けた手足』の2つは、お菓子と手足が脚韻を揃えているだけではなく『甘い』と『焼けた』も頭韻を揃えている。『日に』の部分は、拍を追えばわかると思うが所謂"弱起"というヤツで実際はひとつ前の小節に組み入れられているフレーズだ。なのでここのパートは『甘いお菓子』と『焼けた手足』が対になっていると捉えておけばよい。ただこう書いてしまうと綿菓子と豚の丸焼きを同時に頬張る食いしん坊の歌みたいにきこえるので(?)、『甘いお菓子』と『(日に)焼けた手足』という風に書いた方がいいかな。


『気付くのがおそーい!』といえば、今さっき気付いたのだが作詞で音韻を踏ませる行為って作曲においては何に当たるんだろう?と考えてみたのだが、なるほど同じフレーズを楽曲の中の違うパートで使う事がそれに当たるんだな。言葉は母音と子音の組み合わせで構成されている為韻とは母音のみ合わせたり子音のみ合わせたり或いは両方を少しずつ混ぜ合わせたりして構成されるものだが、音楽におけるフレーズ・メロディーを構成する要素はメロディー自体に加え、音色とキー(フレーズ全体の音程を一様に上げ下げする訳だな)、それに他の楽器によるコードやフレーズとの組み合わせである。全く同じメロディーを奏でていてもバッキングのコードを上げ下げするとメロディーの方の高さが変わって聞こえたり、また演奏する楽器を変えるだけでメロディーがでしゃばったり奥ゆかしくなったりと結構色々不思議な効果があるものだが、例えば作詞でいえば同じ母音の並びでも子音を入れ替えるだけで優しいフレーズに聞こえたりキツい響きに変身したりする。私は作詞した
事ないから気がつかなかったが成る程共通点がありそうだ。

という事は更にその作詞と作曲の両方を組み合わせる作業となると一体何通りの組み合わせ方があるのやら…そんな気の遠くなるような作業を12年間もやってきたんだから一度離れてみたいとかそりゃ思うよなぁ。納得。