無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

100万フォロワーが間近だが、このスケールになっても各ツイートのRT数は二桁、誰々宛の場合はRT数20前後と結構地味なものだ。余りにフォロワー数が多すぎてみんなフォローしてるからわざわざRT数が少ないのかと思いきや、それなら@付きツイートは皆積極的にRTしていく筈で、それが増えてない(というか殆ど身内感覚の人たちばかりのような…)ということは、リツイートってもんが拡散目的というよりは、個々人のメモ代わりに使われている頻度が高いという事を示しているのだろうか。

そんな中、"トレジャー"ツイートが1000を超えるRTを獲得している。この時間帯のツイートがこれ1本であった為これに集中した、という事情もあるだろうがそれにしても多い。普段の10倍である。やや専門的なギターの話題より遥かにとっつきやすいというのはわかるがそれにしても。

こういうのを見ていると、「ヒット曲って何なんだろうなぁ」と思う。多くの人にRTさせるには、それだけの人間にRTボタンを押すという能動的なアクションを起こさせないといけない訳で、"トレジャー"にはその威力があった。しかし、このツイートには人生に対して重要な意味をもつメッセージなぞ微塵も含まれてはいない…よな? 人に「手を出させる」にはセンス・オブ・ユーモアとか、何か他の要素が必要だったりするのだ。

ヒット曲も、結局はその値段を出したくなるしきい値にまでアピールが届けばよい。誰もが少しだけ擽られるような広く浅い、しかし確実なワンショット。そういうのが大ヒットに結び付く。例えばNHKに端を発しただんご3兄弟なんかは象徴的な例で…と、1999年までは思っていたし言えていたのだが宇多田ヒカルがデビューした事によりその図式が思いっ切り狂った。そして今に至る。その狂わされた図式はそこまで極端に敷衍はしていないようだが、ある意味彼女のファンになる事でこの13年間Popsの価値観が変わっていた。その"特殊性"を、大体どこらへんまで共有できているのか、最早何が何だかよくわからない。ただ1つ言えるのは、彼女の居ない風景なんてもう有り得ないって事だ。一期一会の歴史の中の異常に特殊な一例が物事の中心にある。『それでいいんだよ。』と声が聞こえた気がした。