無意識日記々

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A Song For The Wall Breakers☆

詩的な美しさは抜群なGoodbye Happiness、お陰でメロディーとリズム感をやや犠牲にしたという事らしいが、どうにも未だに気になっているフレーズがひとつある。

ヒカルといえば「こんな言葉遣いを歌に乗せちゃうの!?」という驚きを聴き手に与え続けてきたという点で有名だろう。『春の夜の夢の如し』とか『甘えてなんぼ』とか『今日は日清カップヌードル』とか驚かせ方からして様々だが、GBHに於いてはやはり『子どもだましさ 浮き世なんざ』ではないか。かなりの人が初聴時に聞き取れなかったと思われるが、つまり文脈上そういう言い回しが現れるだなんて予測がつかないから耳が追いつかなかったのだろう。意外性と吃驚度という点では図抜けている。

しかし、私が気になっているセンテンスはそこではない。(どないやねん)

引っ掛かっているのは、『大事な時 もう一人の私が邪魔をするの』の一節である。

これまで何度も繰り返してきたように、GBHは圧倒的な現状肯定の歌である。部分々々を取り出せば

『何も知らずにはしゃいでたあの頃へはもう戻れないね』
『出会った頃の気持ちを今でも覚えてますか?』
『何も知らずにはしゃいでたあの頃へもどりたいね』

といった歌詞があるから、「昔はよかった」と過去に浸るノスタルジックな歌かと思いきやそれらに続く歌詞は『それでもいいの』と『君のせいだよ』なのだからまるで違う。後者なんか世界中の城壁を壁殴りしながら旅したくなる程甘っ々なリア充発言だ。更に最後のヤツは強烈で、続くのは『そしてもう一度Kiss Me』である。万里の長城の城壁でも足りない位の以下略。

で、だ。「人生やり直してまたもう一度ここに帰ってきたい」という"Happy"極まりないこの歌詞の中で、この『もう一人の私が邪魔をするの』の一節にだけ、妙に陰があると感じられるのだ。先程見た一見後ろ向きな3行はいずれも直後のフレーズで価値転換が計られているのに、ここだけは何のフォローもない。あるのは『So Goodbye Happiness』、つまり曲タイトルである。『だから、しあわせにおわかれを』と言われてもなぜ『So(だから)』なのかわからない。ここの部分を次回、じっくりと考えてみたい。