無意識日記々

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セパレート・セット・パレード

長らくAppleの提示する「スマート・ライフ」(今私が勝手に名付けた)の評判がよかったが、私自身はiPhoneに代表される"All in One"の発想は少々不便ではないかと感じるようになってきた。技術が進歩しまくった上での贅沢なのだが、例えばメールを読みながら音楽ファイルを操作するのならケータイとプレイヤーがセパレイトになっている方が都合がよい。特に通信環境に作用されるサービスに接続する時には「ただ待っている時間」が退屈なので他のガジェットで文章を読むなり音楽を聴くなりした方がいい。

元々私自身は小さい頃からAll in One信奉者なのだ。テレビCDラジカセとか全部入りじゃないか!とか時計付きラジオポールペンってそれ全部一緒にする必要あるんかい!みたいなものまでときめいていた。アホか。今でも萌えるんだけど、そういう感性は変わっていないのにガジェットにはセパレイトを求め始めたというのは余程のことではないかと。

何故こんな事になったかというと、ガジェットが小さくなりすぎたからだ。私が愛用している一つ前の世代のipod nanoは、5つ集めてもipod classicよりまだ小さい。勿論それを5つ集めてもそんなに便利じゃないのだが、こうやって物理的にセパレイトされていた方が全体的にストレスが少なくなる。何より、機能が特化されシンプルになればなるほど「重くなる」「落ちる」といった現象が少なくなる。これは結構大きい。

極端な話、例えばライブストリーミングを楽しむ時同じ内容の放送を同時に二画面で流したりしてもよい。何を無駄な事を、という感じだが、例えばUSTのチャットとTwitterハッシュタグを別々に表示させてそれぞれの反応の違いをみたりもできる。勿論画面上で切り替えればいい話なのだが、2つとも手に持てる大きさなら目を切り替える方が圧倒的に早い。また、携帯の二台持ちの進化形ともいえるが、Twitterなんかで複数アカウントを持っているならシンプルにガジェット二台がいちばん便利だ。

繰り返すが、All in Oneを私が好んでいるのは今も同じだ。しかし、それすら凌ぐ程にガジェットの小型化と高速化が進み、二台以上を駆使するメリットがクローズアップされてきた、とでもいえばいいか。Appleも、そろそろ発想を変えてくるかもしれない。

そういう技術の進歩に対して宇多田ヒカルは…という話をするつもりだったんだけど毎度のように時間が来たのでこの辺で。