無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

岸辺に上がってゆっくりと。

前回の補足。ギアフォンの革命性は、それこそほんのちょっとした事である。「眼鏡」にフレームがついて耳に掛けられるようになって手で持たなくてよくなった、とか「懐中時計」にバンドがついて「腕時計」になった事とか、そういった類の発明だ。眼鏡や時計の発明自体に較べれば本当に些細な違いしかないのだが、爆発的な普及の為には必須の一歩だった。まだその一歩には遠く及ばないが、そういった方向に進化しているのではという期待はある。

実際には様々な機能が足りない。例えばこれがあったら便利だなと思うのは、外で鳴ってる音をそのまま取り込んで鳴らしてくれるモードだ。そんなの外せばいいじゃないかと言われそうだが、例えば自転車に乗ってる時などにあればかなり便利な筈。音量を調節し、そのまま補聴器として使えれば用途は広がる。

ほんのちょっとした事なのだ。削れる手間をひたすら削っていく。どこまでもぐうたらを目指す。それが結果的にブレイクスルーを齎す。誰もが靴ひもを結ぶ事に抵抗がないままだったら、ファスナーやマジックテープは生まれなかったかもしれない。ぐうたらは偉大なのだ。

そうやって「音を身につける」文化が定着するか否か。今や手元で情報を得るのは普通になった。大の大人が居並んでスワイプスワイプしている姿は依然異様に映るが、そりゃあ慣れる。スマートフォンのお陰で常に手元に文字と画像と動画が流れてくるように、ギアフォンのお陰で常に耳元に情報が流れてくるようになる。

ああせわしい、と自分でも思った。情報の流れを遮断してゆっくりしたい。一息ついて、それでも読みたい本があるなら読み、聴きたい歌があるなら流す、それでいいような気がする。

Hikaruが最初にipodを身につけながらエクササイズに励んでいるときいて「へー進歩的ぃ」と思ったものだが、32歳を超えた今、どちら側にアピールしてくるだろうか。弛まない情報の流れの中でその存在感を示すか、そこから離れた凪の場所で優しく皆を受け入れるか。

支持者層は大体20代後半から40代前半くらいがメインだろうか。まだまだ情報の流れに"疲れる"年代ではない気がするし、ゆっくりCDを買ってきて聴く、だなんていう風なライフスタイルからも遠ざかっているだろうから、まだまだHikaruとしては最新のガジェットや最新のシステムを利用していく方法を追究するべきだとは思うが、疲れを癒やすのもまた音楽の力だから…何が言いたいかといえばそろそろ"アルバム曲"が聴きたいかなという話。また次回。