無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

なんて?

一方、桜流しには全く音韻がないなんて訳でもない。

『もう二度と会えないなんて信じられない
 まだ何も伝えてない
 まだ何も伝えてない

『ない』が4度繰り返されている。ただこれは『韻を踏む』とは言えないかもしれない。普通音韻というのは単語のうちの幾つかの音素が共通であるとか子音は同一で母音は異なるとか母音は同一で子音が異なるとか、そういった「全て同じではないが幾らか似ている」節同士の関係を指すものだ。これは、本当に『ない』をただ繰り返しているだけである。更に、1度目の『まだ何も伝えてない』と2度目の『まだ何も伝えてない』はメロディーが違う。

符割りを区切って書くと上記の3行はこういう具合だ。

『―もうにど―と/あ――えな―い―
 なん―てしんじ/ら――れな―い―
 まだな―にも―つ/たえてな―い―』

何だか『もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対』By槇原敬之をついつい思い出してしまうが、どちらにも共通するのは否定と関係ない『なんて』が挟まれている事だ。これを抜かして普通に「もう二度と会えないとは信じられない」「もう恋はしないとは言わないよ絶対」と言ってしまえばさして難しい文章ではない。ただ「なんて」に惑わされているだけである。

「なんて」は「などと」の転であり、否定の「ない」とは直接関係ないが、婉曲と強調と疑問を同時に兼ね備えるという特異な性質をもつ副助詞だ。したがって、周りの「ない」の否定を強めたり、あわよくばその疑問形に近い使われ方で、反語表現に近い強調文を構成したりする。こんな単語を放り込んでくるなんて、ヒカルはやっぱり巧みだなぁ。


…といういつもの軽い調子で締めくくるとどうもしっくり来ないのは、それだけこの歌の歌詞がシリアスだからだ。余り技巧な話にせず、もっと感性に依った話にもっていこうかな。