無意識日記々

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ちょい番外編:J-Popの社会的孤立

前回の続きを書く前に、元RRSさんからコメントがあったので答えておこう。今日も元気に共和国が活動を続けてられるのも、彼が現在迄襷を繋げてくれたからです。感謝々々。

さて、彼の問題提起は明確で、「J-popの社会的孤立を改善すべきだ」というもの。J-popが社会的に孤立しつつある、という現状分析に関しては同感だが、そこから先の僕の意見はちと違う。「そのまま孤立して消えて無くなってしまってもいいのではないか」。

00年代は平たく言えばジャニーズとAKB48の時代で、あとはEXILE倖田來未に言及しとけば大体収まる。他に活躍した人たちは90年代から元気な人たちだった。率直に言って、果たしてここに"J-Popが存在したか"といえば、結構難しいかもしれない。いや勿論各アーティストの問題ではなく、"社会"の意識の中での存在感である。寧ろ、各々のコアなファン層が肥大化してそれぞれが独立した活動をしていたように思う。その中で、ジャニーズやAKBはテレビでの露出度も高まっていった事から、「お茶の間のアイドル」になれてはいたかもしれないが、彼らの"歌"がどれ位認知されてきたかというと結構心許ない。

つまり、最早J-pop云々という前に生活の中で"流行歌"という概念自体がなくなりつつあるのだ。流行歌の歴史は古く、早い話がラジオが普及した当初から存在した。それは何故かといえば、情報の供給源が限られていたからだ。日本の場合、特にテレビと新聞で顕著だが、全てが全国区であった。供給源が限られていたから人々の興味関心はそこにフォーカスしていればよく、その中から流行歌が生まれていた。

それが多チャンネル時代に入り更にインターネットの登場が決定的だった。あとはご覧の通りである。とはいえ、全国ネットのテレビは、視聴率は相対的に下がったものの、まだまだ影響力は大きい。サッカーの代表戦や紅白歌合戦は40%を超える視聴率だ。これは暫く覆しようがない。

つまり、J-pop勢が"社会的孤立"をしているのは情報供給源の多様化という構造的変化の帰結であって、個々のミュージシャンやらレコード会社やらとはあんまり関係ないからそれを"改善"する方法はない、というのが私の見立てだ。それとともに、本来サッカーのJ-リーグが「世界を目指す為に日本のサッカーを発展させよう」と名付けたのと違い、ひたすらドメスティックに終始したJ-popという"ジャンル"はグローバル化が進むと共にその名の価値を失っていくだろう。いや、もう"無い"と言ってもいいかもしれない。でも20年もひとつのジャンル名が使われ続けたのは大したもんだと思うよ。