無意識日記々

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夢のように消えていく"Jpop Era"

安室奈美恵小室哲哉の引退報道は「平成の終わり」感に拍車をかける。また一時代が過ぎ去ろうとしているのか。

Jpopというイディオム以前に「Pop Music」という枠組み自体が日本という国に必要か? とついつい思ってしまう。そこまでのこだわりはないのだが、大体の場合において私が「ポップ・ミュージック」とカタカナで書かずに「Pop Music」とアルファベットで書いてしまうのが、外来語としてすら日本語になりきれない感覚があるからだ。

翻訳すれば「流行歌」にでも、なるのだろうか? 直訳なら「大衆音楽」だろうが、どこか昭和っぽい。昔は地上波テレビの力が強すぎて娯楽の方向性を大きく決めていた。街頭テレビ以降、人口の何十%という人々が同じ番組を見るのだから当然といえば当然。紅白歌合戦が40%の視聴率を記録しても「低い」と呼ばれてしまうのはその時代からの名残である。

「大衆音楽」の方は、言うほど売上に直結しなかった。皆テレビやラジオから流れてくる流行歌を知ってはいても買うまでにはかなかな到らず。70年代も80年代も、ミリオンセラーは1人2人、1曲2曲の「例外」を除いて生まれなかった。

88年にCDシングルが発売されるようになり、シングルアルバムともミリオンセラーが連発されるようになる。この時代から「Jpop」という、「日本のPop Music」のジャンルが確立された。

が、結局今はCDの売上と配信の売上を足しても70年代や80年代と変わらないレベルになっている。Jpopとは90年代から00代にかけての「現象」であって、日本に新しく根付いた「生活習慣文化」とは成り得なかった。サッカーのJリーグプロ野球や大相撲のように日本のプロスポーツとして定着したのとは対照的である。

今を生きる人々は、90年代や00年代のようなJpopがなくても別に生活に困っていない。音楽業界の人を除いて。「Pop Music」への需要は、20年間の夢みたいなものだったのかな、と安室小室の引退と共に思う。

音楽を聴かなくなった訳ではないが、「聴かなくちゃ」みたいな圧力はもうかなり薄い。日常生活で「この大ヒット曲を知らないなんて」と言われる事は皆無になった。でも「ある芸能人の不倫のニュース」は「当然皆知ってるよね」という顔をしている。ゴシップは必要とされているが、流行歌は必要とされていない。そういう現状認識である。

そんな中で宇多田さんはどうするか?…という話からまた次回。