無意識日記々

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「その話要る?」

昔から「あたしゃこの人種からいちばん遠いなぁ」と痛感するのは、所謂"ホモフォビア"と呼ばれる、同性愛者を忌避するだけでなく攻撃する人たちだ。気持ち悪がるのも(そういや人の事を指して"気持ち悪い"と形容するのは松本人志が発祥だというコメントを見たのだが本当なのだろうか?)不快に思うのもその人がそう感じてしまった事なので仕方がないが、それなら出来るだけ関わらないように人生を過ごせばよいものを何故だかわざわざ近寄って行って文句を垂れる。更には暴力をふるったり社会的政治的に圧力をかけたりする。お前は何でそこまで暇なのか。同性愛者に強姦されてトラウマになったとかのエピソードがあるのならわかるが…いや、それもわからん。そんな事言ってたら世の女性は世界中の男性を攻撃しなければならなくなる。強姦の恐怖に性別なんて関係なかろ。

兎に角、他人が誰と恋愛しようが放っておけばよいし、関われとあんたに言ってくる確率は天文学的に低いだろうに同性愛者を弾圧する暇で暇で仕方がない人たちがこの世に居るらしい、という話は伝わってくる。未だに一度も実際にお目にかかった事がないのでフィクションなら楽なのになぁと思うのですがそんな事ありませんかね。

似たような話に選択的夫婦別姓制度に反対する人が居る。他人の名前がどう変わろうがあんたの人生に何の影響もないと思うのだが、手間暇金人脈を使って阻止しにかかる。一体、その阻止を達成してあなたの手元に何が残るのか。そのあなたの虚しさは阻止したいかもしれない。でもそれもあなたの自由だから。


同性愛嫌悪層に対する一つの説明は、「もし自分がそうなってしまったらという恐怖」に苛まれている、というものだ。自分が気持ち悪い&不快だと思う"ああいった存在"に、もし自分がなってしまったらどうしよう、私は私自身の事を不快に思う事になるのか…という"潜在的な""無意識下の"恐怖心が、彼らへの攻撃性となって表れている、と―わからなくもない。ホームレスを似たような理由で攻撃するパターンも考えられる。「ああいった存在はこの世に存在しない」と思い込む為の殲滅作戦という訳だ。うむ、病院行った方がいいな。大袈裟でなく。社会生活に支障がでる。

…これが支障出てないっぽいんだなどうにも…不思議で仕方がない…


なぜこんな話が出ているかといえば、我らが愛する愛おしき愛しのくまちゃんがゲイだという設定(即ち、事実)の事を思い出したからだ。この話は長くなるが、そういえばフレディー・マーキュリーもゲイだった。ぶっちゃけ彼が私生活で同性を愛そうが壷を愛そうがプラナリアを愛そうがいい歌を唄ってくれたからそれ以上用はないのだが、何だか色々と考えてしまう。くまちゃんにそういう設定は必要だったのか? いや、あクマで"そうであるのだから、そうであるのだ"という"事実"でしかないのだから考えても仕方がないのだが、わざわざヒカルがその事について言及するのは何故なのか、そこで色々と考えてしまうのだ。

そもそも、設定上、くまちゃんは恋愛をするのだろうか? これはクリティカルな問いである。絵本の中に居た方のくまちゃんは、水たまりの中に対してぼんじゅーるしていた。あそこは極めて大事大切な場面であり、熊親子に対する怒りを自分の中で整理出来なかった事と直接繋がっている。

そのような自己の、自我の未文化を抱えた存在が"性と恋愛"というテーマとどう向き合うのか、有り体にいえば、「その話要る?」という事だ。


同性愛嫌悪層の心理を紐解くにあたって、この「その話要る?」という一言は主眼となると予想する。というか、今夜はそっちの話をするつもりだったのだが傍流の話をしているうちに時間と字数が来てしまった。以下次回。