無意識日記々

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公人の発言

どこかの議員さんが同性愛者を異常動物だとTwitter上で発言して炎上している、という記事を読んだ。種々のリテラシーを学ぶ機会の無かった世代には同情を禁じ得ないが、そんなん学ばなくてもこの発言が不適切である事はわかるだろう。同性愛についての知識はほぼ必要ない。いや、対象が同性愛者かどうかについての議論も必要ない。

問題なのは、他者に対して公人が異常だと発言する事自体なのだ。例えば、プロ野球選手に対して「あんなにムキになってボールを投げたり打ったりするのは生物としては異常行動だ。脳に欠陥があるに違いない。」などと発言したら、シリアスに捉えられるかどうか以前に、言われた方はいい気はしない。人によっては激怒するかもしれない。ただそれだけの事だ。他者を異常と公的に指弾する事に問題がある。飲み屋で愚痴る分には、是非どうぞご自由に。

毎度言っている事だが、言動は行動なのだ。ある人がある思想をもつ事は自由だが、それを世に向けて発信するとなればどこかで軋轢が生まれるのは避けられない。

表現の自由」というのは、互いの表現の自由を最大限尊重する意思を持つ者同士の間でやっと成立するものだ。その為、発信力を持つ人間はその規模に応じて自分の発言内容に他者の自由を抑圧する原因が潜んでいないか絶えず検討をし続けなければならない。他者、しかも少数他者に向かって多少なりとも権力をもつ側の人間が異常のレッテルを貼った時の影響は幾ばくか、予め考えなくてはならない。が、常に検討を差し挟むのは思考の経済に反するので「他者を安易に異常呼ばわりしない」と自戒をひとつ加えて以上とするのが常識的なやり方だ。それができるかどうか。それだけ。

なお、同性愛行動が異常かどうかという検討は、他の生物に関する研究から、少数ずつではあるが幾つもの種において日常的に確認されている。まだまだ研究は途上だが、集団内に一定数同性愛者を含む事で淘汰上の利点が生ずる可能性も検討に値する割合である。異常どころか、社会性動物にとって必要不可欠な構成要素かもしれない。安直な判断はいずれにせよ早計なのだから、普通に基本的人権を尊重して対処するのが現時点での標準的な対応だろう。


ところでところてん。公人という表現は常に曖昧で、今回の場合は議員さんという事で余り議論の必要は無かったかもしれないが、たまにげいのうじんの場合でもそれが公人の言動として扱われるケースがあるようだ。次回はそこら辺の話から。