無意識日記々

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「大人っぽい」と「いい曲」と。

ヒカルの話し声はいつまでも不思議な感じがする。初めてテレビで喋ってるのを聴いて余り初めて聴いた気がしなかったし、皆から大人っぽくなったねぇ、と言われる今の話し方も、勿論私も初めて耳にする訳で随分と落ち着いたもんだな〜という感想を確かにもったのだが、それでもなお耳当たりがいいというか、やっぱり初めて聴く気がしない。ずっと前から知ってたような、というとストレートに誤解を招くのだが他に相応しい言い方が見つからない。事前に知らなかったのに、いざ初めて耳にすると知っていたように思うという妙な勘違い。それは確かに、不思議な話だ。

大人っぽい、という評判だが、確かに「っぽい」。私は、まだ大人と言い切る風にはならないかな。本当にの「大人」(誰だ今「ターレン」て読んだヤツは)になったら、若さや幼さに対する愛しさや慈しみや懐かしみや妬みや諦めやなにやかにやを持ってそこで私は直接「大人」を感じる。なんだか今のヒカルは、言い方を違(たが)えれば30過ぎたオバハンで社会的貢献度も甚だしく仕事上でも監督やプロデューサーといった様々な人々の"上司"にあたる訳で、明らかに同年代の人たちに比べて大人な筈なのだが、そういう事ではなく《音楽への接し方》に於いてなんだかまだまだ若々しい…とまではいかないが、「大人っぽく」はあるけれど「大人」ではまだないと思うのだ。まぁいいや、ここらへんの話はまたの機会に持ち越そう。

それと直接関連しそうなそうでもないような挿話を夾んでおこう。「いい曲」について。どうも、熊泡第1回は音楽好きに対しての玄人受けは激しくよいものの、そうでもない"一般人"(毎回突っ込むけどホントそれって誰のことさ)に対しては素直に「いい曲だねぇ」と言えるものが少なかった気がする。ここらへんを不満と言うべきかはわからないが、何となく雰囲気で聞き流した人も多いのではないか。酒の肴にはピッタリだな、という体で。

今のヒカルが「大人っぽい」のラインに居るのは、そこらへんにもあるように思う。サウンドクリエイターとしてはそれで大正解だが、DJとしては評価が別れる所だろう。

「いい曲」を定義付けるのは難しい。いや無理、不可能かもしれない。誰しもいい曲を聴いた時はいい曲だと感じる。First Loveを聴いてそう思わない事は途轍もなく難しいが何故そう感じるかを説明するのはそれより遥かに難しい。

そもそも、「いい」という言葉は最も説明の難しい語のひとつだ。国語辞典で「いい」或いは「良い」を引いてみるといい。さて、今使った"いい"はどんな意味になるだろうか。辞書にはこれでもかという量の説明が載っている。「いい」よりも遥かに難しい語を次々と繰り出して駆使してその意味を弄くり出そうとしているが、まるでゴールから出発した為にゴールを永遠に見失ってしまったかのようだ。まるで、「いい曲」について考えた時と同相の状況となる。


それでも私は自分なりの表現で語ってみたい。いい曲とは、曲の中に印象に残る場面ん有する曲の事である。この時、印象の方が場面自体より強い曲を玄人向けといい、印象より場面の方が強い場合をPop/Catchyという。こんな感じ。この基準に照らすと、今回の熊泡で流れた楽曲は何となくイメージはあるんだけどそれが具体的にどんな場面だったかを思い出し難いという意味で、玄人向けだったと思う、という言い方になる。このような見方と書き方で、次回以降も熊泡の感想を書き綴っていこう。