無意識日記々

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「Popであること」は、今や呪いのようなものだ。これさえなければ、そんなに悩む必要もない。ただ邁進あるのみだ。これがあるからこそ、ミュージシャンを続けるべきか否かから悩み直さなければならない。難しい。

探究者に徹する訳でも、商売人に徹する訳でもない。ヒカルのモチベーションが気になるのは、何だろう、やる気がなくなる事を心配しているのではない気がしてきた。2002年の5月も2009年の5月も、頑張り過ぎて倒れたという印象が強い。2006年の夏はギリギリで何とか乗り切った。

「頑張り過ぎ」。これがキーワードなのかもしれない。まぁ、若いうちはいいさ。いや、社会人だったら何歳だってよくないか。そうだな。

イチローの凄さは何と言っても怪我をしない事にある。安打数を積み重ね続けてこられたのも、異常なまでに怪我をしてこなかったからだ。様々な才能の塊である彼の最高の才能はこれである。鉄人と呼ばれ連続試合出場記録をヤンキースにおいてすら続けていた彼ですら手首の怪我をキッカケにキャリアを狂わせた。

イチローの守備をみていたら、彼は本当に徹底的に無理をしない。スライディングキャッチを試みればもしかしたら捕れるかもしれない球が来ても、必ずその時の試合状況やチーム状態を鑑みた冷静な判断を下す。冷静。ここがキーポイントだ。

無理をしないことの何が難しいか。仕事に熱心な人ほど、「もしかしたら私は手を抜いているんじゃないか」という不安に苛まれるのだ。この不安を払拭するにはがむしゃらに頑張るしかない―という事で人はついつい局面々々において"熱狂に騙されて"ダイビング・キャッチを試みてしまう。たとえ捕れなくても、懸命に走って身体ごと飛び込めば私はベストを尽くした事になるんだッ…―勿論嘘である。熱狂に騙されてはいけない。

更に難しいのは、そうやって誰よりも頑張っている人に対しては、周りも色々言いづらいんだわ。ヒカルは十代からずっとアルバム制作のプロデューサーやLIVEコンサートの座長的立場に立ち続けてきた。即ち判断を下し、人に指図する人間である。そういう立場の人は孤独である。ライバルが居ればいい。その人と比較すればいい。しかしヒカルはずっと日本の頂点だった。周りに他に誰も居なかった。ヒカルが結果を、自分で、出すしかなかった。まぁ、難しい。

冷静に、自分の身体を見極める能力がヒカルにないとは思わない。恐らく、問題はそこですらなくて、どこかに「アウトになってみたい気持ち」があるのではないか。浦沢対談でPassionのことを「敢えてギリギリはずした」と語っていたが、前のBe My Lastと併せて、「まぁ、アウトになっちゃってもいいかな」という気持ちが出ていた時期だったといっていい。守りに入らず攻め続けた心意気は素晴らしいし、何より私はこの2曲が大好きなので(この2曲がなかったらこんなBlogやってないよ?)、その時期を否定的に捉えるのは心苦しいのだが、やはりいちばん"匠"なのは、どこからがアウトかを、その線を一切越えずに見極める事だと思う。その為には、自分の努力が足りないのではないかという不安に打ち勝てなくてはならない。それが、ヒカルには出来なかった事があったのではないか。試合に出続ける事。「ヒットを打つ秘訣は何ですか?」「まず試合に出て打席に立つ事です。でなければ絶対にヒットは打てません。」基本は何よりもこ
れなのである。