無意識日記々

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第2回に向けて

当初は熊泡で流れた曲の魅力を噛み砕いて解説する特集でもやろうかと思っていたのだがオンエアを聴いて「う〜ん」と唸ってしまった。幾ら聴き手を選ぶとはいえ、この選曲では業界人受けとInterFM受けはいいだろうが、肝心の「宇多田ヒカルがラジオをやると聞いて」来た人たちにはあんまり訴求しない。例えば、Crazy In Loveならまずオリジナルの方をかけるくらいでちょうどいいんじゃなかろうか。いやそれでも英語で歌ってるってハードルは高いけども。

そもそもニュースにならないだろうが、第2回の聴取率と占有率が気になる。大幅に下がるだろう。選曲のよさとコメントの的確さは流石だが、だから洋楽という文化はずっとこんな感じでニッチのままなのだ。

ヘンな話だが、DJがヒカルでなかったら私もこの番組を手放しで絶賛していたと思う。良質な音楽を簡潔明瞭な一言で紹介してくれる番組として。しかし、番組名が「Kuma Power Hour」なのだ。宇多田ヒカル色を前面に出してこないと話は収まらない。もっと破天荒に、型破りに、規格外にならなくては。例えば、藤圭子の新宿の女をかけたのだって、普段Inter FMを聴いている層や業界人には大胆だと言われるのだろうが、一般のファンにとってはラジオ局の選曲傾向なんて知った事ではない。娘が母の曲をかけただけの事である。勿論、その意味ではウケはいいだろうけど。

ますます、第2回が気になる。同じ方向性でくるとすれば、やはりコアなファンとInterFMリスナーしか残らなくなっていくだろう。よく考えたら私個人としてはそれで何の問題もない(第1回放送時のはしゃぎぶりをみればよくわかる)のだが、昨日触れたようにヒカルはPop Musicの人なのだ。宇多田ヒカルというブランドに惹かれてやってくる人たちに対して何もしないままでいいのだろうか。

或いは、今だからこそこういう番組が成り立つ、という見方もできる。Pop Musicianとしてのプレッシャーのない中で、純粋に音楽ファンの1人としてラジオ番組を受け持つ、合わない人は取り敢えずごめんなさい、というスタンスであるならば何も間違ってはいない。どうにも、このコ(もう30だけどな)は心根が優しすぎて周りに気を遣い過ぎる事があるから余計な心配をしてしまう。それも全部ひっくるめての"バランス"だから、何とも難しいのだけれど。そろそろ納品日も迫っているのでツイートに期待したいところである。