無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Don't light that cigarette...

なるべく後ろ体重で書くようには心掛けているが、それでも案外、「しょうがない」という一言には「そんなことない」と思ってしまう。「彼らの仕事だから」と言うなら、その仕事を無くしてしまえばよい。今まで、様々なヒット商品がブームの終焉と共に視界から消え去っていった。その度に、関連する中小企業があっさりと潰れていった。仕事なんてふと無くなってしまうものなのだ。

一過性の流行なら兎も角、マス・コミュニケーションなんていう巨大なシステムがそうそう状況を変えるような事はない―というのは、確かにそうだろう。大変に難しい。しかしだからといって、「しょうがない」で終わらせるのは、どうなのか。局面々々では、そう思う事でやり過ごすしかない場合も、多々あるだろうけれど。

例えば。ひとつ例を挙げてみようか。私が小さい頃、「たばこ」というものが、ここまで変化するとは思わなかった。今や嫌煙権という概念は常識(変換も一発で出た)、分煙は当たり前、完全禁煙も珍しくないほどだが、ほんの30年前は全く逆だった。禁煙エリアはそれこそ今の喫煙エリア程度しかなく、大人はたばこを吸うのが当たり前で、灰皿は茶器よりも遥か多く方々に設置されていた。たばこの歴史は、マスコミのそれなんかよりずっと古い。伝統的な生活週間だった筈なのに、僅か2,30年でここまで状況が変わるとは、当時は思いもよらなかった。たばこ産業は国営だし、その"権力"は絶対不可侵と思える程であったのに。

たばこの状況がここまで変わった理由はわからない。外圧かもしれないし、医学的知見の進展のお陰かもしれない。それはわからない。しかしその巨大さは、マスコミにも劣らなかった筈である。それがここまで変容するのだから、マスコミもまた、某かの理由で変化を始める事があるかもしれない。例えばヒカルの一言が、その変化の最初の兆しとなるかもしれない。別に何をする必要もないが、だからこそ希望を捨てる必要もない。物騒な話だが、彼らの失職と転職を促せるチャンスは、全く無い訳ではないのである。そう思いたい。

とはいえ、その巨大さを侮ってはならない。全くの見込み違いは時に人を過剰に落ち込ませる。まずは、出来るだけ冷静に、物事のありようと推移を見守る事からだ。Hikaruもだから、落ち着いて。