無意識日記々

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横顔

昨夜照實さんがUPしてくれた写真が素敵だ。颯爽とした横顔とゴリラのぬいぐるみ。スポーツカー&スカーフwith手にアンパンに通じるアンバランスさだが(?)、簡潔にこの人の人となりを表している。Hikaruが観たら泣くんじゃないかこれ。

小さい頃ゴリラのぬいぐるみと戯れていた身としてもあんまり他人事の感じがしない。6歳の頃のHikaruはドラゴンのぬいぐるみと戯れる親を見て「いい大人が」と思ったらしいが、その後は自他共に認めるように「血は争えない」状態になった。親子とは不思議なものだ。別の個体でありながら、何か繋がりがあるような、ただ似ているだけではないものもありそうな、でもやっぱり違う人のような。全く血縁関係のない親に育てられた人たちも感じる事なのか、これは実際に生む母の立場からみてみなくちゃならんのか、いろいろと考えたくなることやまほどなのだが兎に角これで四十九日が終わり、忌明けである。己の心を取り戻す時期が来た。

手作りっぽい雰囲気が漂うとはいえ、法要というからにはHikaruも参加していてよさそうなものだが、はてさて。喪主だしな。傍に居たかどうかを真っ先には言及しなかった照實さんの判断を尊重しておこうか。いつまでも引きずってはいられない、いや、違うか、ずっと引きずっていくから形だけでも区切りをつけないと、という事か。それは、まだ生きている自分の為でもあるし周囲の為でもある。しかし、形式は形式だ。我々がそれに縛られる必要もない。メディアが報じる時だけ何か言う人たちとは違い、僕らは今までもずっと彼らの事を想っていたし、これからもそうだろう。普通に、毎日々々の心の動きを丹念に辿ればいい。それをするならば、形式に囚われなくとも過ごしていける。Hikaruの癒やしのプロセスはまだ始まったばかりである。

それと同時に、今まで何度か書いてきた事であるが、今のHikaruは相当に強い。ただ癒されていくに任せず、少々強引でも前に進もうとするだろう。我々は特に何をするでもなく、普段通りに接すればいい。みんなでこうして在りし日の純子さんの横顔を見れたのだから。でもこれ、「似てるけど別の人でした」ってオチはないよね?(笑) それはそれで、楽しいけどね。