無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Philosophy of Flavor of Life

Flavor Of Lifeは今思い返してみても数奇な運命を辿った曲だなぁと痛感する。2007年1月5日だっけか。「花より男子2」の第1回オンエア当日に配信開始という時代の寵児的な登場の仕方もさる事ながら、やっぱり先にBallad Versionを発表したという経緯が事情をややこしくしている。

Ballad VersionとOriginal Versionは、いわばFINAL DISTANCEとDISTANCEの関係性であって、それを考えると、2001年当時「"DISTANCE(Ballad Version)"みたいな表記にしたくない」旨ヒカルが発言していた事を考えると、随分と扱いが違う。FINAL DISTANCEは、TVでの露出を避け他の媒体でのプロモーションが主体だったが、Flavor Of Lifeはテレビ出まくりだった。そもそもテレビドラマの主題歌だ。ここまでテレビフレンドリーな楽曲は、ヒカル15年の歴史の中でも他に例をみない。

そうであるのに、いや、そうであるから、なのかもわからないが、WILD LIFEではAutomatic&First Loveの直後にもってきて大ヒットメーカーとしての矜持を語る。余りにも有名になり過ぎたからこの曲がここにこうしてある事に違和感なんて抱かないのだが、この、普段とは異なる哲学の許に為されていったプロセスは、やっぱり興味深い。

ではその"異なった哲学"とやらは何なのか…語り始めると長くなりそうなので、また稿を改めて、という事にしておこうかな。中途半端に、なっちゃうからね。あら、ちょっといつもより尺が短いな。私らしくない。