無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

[心構え]

天皇皇后両陛下方々を、ついつい可哀想と思ってしまう自分が居る。大変失礼とは自覚しているのだが。何が可哀想、って、彼らを崇めている人々が全く、そう、全く両陛下のお心持ちを慮る気配がまるでない点だ。何故あの人たちは、会った事も話した事もない彼らの心の代弁者みたいな事を言えるのか。全員が、まさに自らの思想に対する権威付けとして彼らを利用しているようにしか見えない。そうでない人をまだ私は1人も知らない。これはある意味凄い。

…なんていう不穏且つ不届きな書き出しで始めたのは他でもない、人のフリ見て我がフリ直せと思ったからだ。こんな日記を書き続けているのだから、ここの執筆者は宇多田ヒカルを崇拝しているのだろう、なんていう誤解を、500人に1人位の割合で誰かに与えてしまっているかもしれない、とちょっと不安になったのだ。

崇拝までは行かなくても、大いなる勘違いを自分がしているのではないかという不安は常にある。陛下方々を利用して自らの思想を語るように、宇多田ヒカルの名前を利用して自分の考えを述べているだけになっていないか、それどころか、「俺はヒカルの事をとてもよく理解している」と思い始めてないか、常に気にかけている。そうなるのはとても嫌だからだ。

私は彼女に会った事も話した事もない。だから、彼女が実際にどんな人間か知らない。テレビで観た事はあるし、実物を肉眼で観た事もあるが、だから何という事もない。いやそれ自体は嬉しい出来事で、仲間内で自慢になる事かもしれないが、彼女の事を知っている、と言えるようになる訳ではない。第一、もし友達同士になって会って話せるようになったとしてもその人を理解できるようになるかというと、それもわからない訳だし。

私は、ただ断片的な情報を集めて、「こうではないか、ああではないか」と妄想を語っているだけである。その為、論理の前提には大変気を遣う。「彼女のあの発言がこう解釈できるとするならば、こういう帰結も成り立ち得るだろう」という話までしかするつもりはない。そんなんで面白いのかと言われそうだが、自分で読み返してみるとぼちぼち面白いなぁとしみじみ時々感じるのでそれはそれで。


という訳で、Flavor Of Lifeの話の続きやら圭子さんの話やら全部途中で放り出しておきつつ、今回は自分の「心構え」について記してみた。残念ながらこのエントリーは自分で読み返してみた時に上記の「ぼちぼち面白い」には入りそうにないが、たまには必要に駆られて注釈を書き下すのも悪くないものである。来週はいよいよ熊淡週間、今まで通り遠慮なく妄想を爆発させていく事にしよう。どうかお付き合い下さいませ。