無意識日記々

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「聴く」と「聴いてみる」

Apple Musicを使うようになって、使う前から予想してた通りになった事とそうでもなかったのと両方を経験中。

予想通りになったのは、音楽を聴くのの全体が"ラジオ化"した事だ。途中で購入とか決済とかを差し挟まない分、かなり気軽に「どれ、聴いてみるか」とプレイボタンを押すようになった。そう、「音楽でもかけるかな」とラジオのスイッチを入れるような感覚で。

CD時代は、いやさアナログレコード時代は音楽を聴くという行為自体が特別だった。恭しくジャケットからLPを取り出し、割らないように落とさないようにそっとターンテーブルに置き、ノイズを極力減らす為に盤面をクリーニングし、いよいよ針を…というルーチンワークが、既に精神的な儀式であり、否が応でも音楽への集中力が増した。そう、それは鑑賞するものだったのである。

Apple Musicは、まさに、いつでも音楽を流す事の出来るシステムだ。Spotifyだってレコチョクだって同様。すると、どんな作品でも鑑賞するというよりは「試しに聴いてみる」感覚で接するようになる。

かつて昔は、ラジオで「聴いてみる」、レコードで「聴く」というサイクルだった。これが今では全部が「聴いてみる」なのだ。「聴く」が、ない。どこかで腰を落ち着けてじっくり耳を傾けよう、とはなかなか思わなくなるのだ。

いいことだと思う。私はラジオが好きだからだ。極端な話、手当たり次第に再生ボタンを押していくうちにどんどんいい曲と出会っていく訳で、総てが出会いというのも悪くない。ラジオが好きなのは、その偶発性にある。音楽体験全体がラジオ的になるのは大歓迎なのだった。


予想をしていなかった方…そうだな、CDを持っていて、かつロスレス音源も記憶装置に入っているのにそれでも敢えてApple Musicにアクセスして聴いてしまう事、かな。あれなんですよ、前もちらっと触れたけど、再生するごとにそのアーティストに配当がいく訳で、まぁそれなら意図的にストリーミングで聴くのもありかなぁ、と音源を持っているにもかかわらず思うのだった。完全なる自己満足なのだが、自分が好きなアーティストに僅かでも貢献できるのかと思うと気分がいい。気分がよくなる為に音楽を聴いている時などは見事な相乗効果を生む。うむ、悪くない。

今のところ新曲や新作をヒカルがストリーミングにのせる機会は無さそうだが、旧譜旧作になった暁にはサブスクで再生する事にするわ。