無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

既知の話も違う方から見てみれば

ライブの生中継…というか、そもそもレコード自体が「パフォーマンスの実況録音盤」だったのだ、元来は。それがマルチ・トラック・レコーディング技術の完成によって、"スタジオ・バージョン"という得体の知れない「何か」が出来上がるようになった。それをずっと私は"音源"と呼んでいる。今はどうかわからないが、一昔前までは、レコードやCDは「演奏や歌唱をそのまま録音したもの」と漠然と捉えている人が多かった。「FIRST LOVE」を買った人のうちどれだけが「バックコーラスはヒカルの声だらけ」と認識していたか。そんなもんである。

そこまで立ち返れば、見通しはよくなる。まず最初に生演奏がある。それの実況録音盤としてのレコードやカセットテープやCDが存在した。一方で演奏の生中継も行われた。これが主にラジオである。

音声だけでは物足りない。映像も欲しい。ビデオテープの普及で、ライブビデオというものが生まれた。後にライブDVDとなる。一方で演奏の生中継。テレビである。

音声のみ、映像+音声、いずれも、今やインターネットを通じて人々の許に届く。画質や音質の違いは、今や帯域がどれだけ確保出来るかという政治的課題に落とし込まれた。もう、レコードもラジオもビデオもテレビも、インターネットがかなりの割合で代替できる。


…という眺め方をしてみよう。この中で、"スタジオ・レコーディング"によって生まれた"音源"の存在は、どこに位置付けられるか。まるで、何か捉えどころのない存在であるかのように思えてくる。私の気のせい?

ラジオやテレビでライブの生中継をしたとしたら。何割かは「テレビで観たから十分だ」と言うだろうし、何割かは「これは是非ナマで観てみたい」と言うだろう。本物のライブに対して、それが疑似体験でしかない事を、皆知っている。だからライブ・チケットが売れるのだ。

しかし、スタジオレコーディング音源は、デジタル時代では一切劣化しない。手元のコピーは徹頭徹尾「本物」である。従って、これが無許可でコピーされたとしても、"そこから先"は期待出来ない…という発想が、レコード会社には常にある。そりゃまぁそうだ。

この視点から眺めていると、違う考え方も湧いてくる。"スタジオレコーディング盤"というものを一切作らなくなったらどうだろう。常にライブしかせず、出す音源が総て"ライブ盤"であるようなアーティスト。もう居るのかもしれないが、もし居たら、その音源はネットで無料配布してしまうのがいいかもしれない。ライブ盤は、常に「本物と較べると物足りない」と思われており、であるなら無料で聴いてもらってライブに来て貰う事を最優先にする。なくはないだろう。


しかし、いいのか。スタジオ技術を駆使した「音源」に魅力があるのも、また事実。この現代の「複製力」「再生力」を前にして、この、100%複製可能な世界で、その労力に値する報いを、どう受け取るか。今までの流れで何度も触れてきたように、それは、ライブ・コンサート・チケット同様、「アクセス権」を売る事になるのだが、この考え方に、果たして消費者がついて来れるかどうか…


…なんだか話が難しくなっちゃった。次回は違う話題にしときます。反省。