無意識日記々

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デスメタルマジック

納品ツイートまだなんだな…。よし、ここは思い切って全く関係ない話題を。

私がHR/HMファンなのは長い読者なら周知の事実だろうが、HR/HMの歴史も最早半世紀近い。その中で、自分が聴いてきた音楽を世代でいうなら"デスメタル世代"になるだろう。

元々デスメタルは、スラッシュメタルのデフォルメから生まれた。スラッシュとは鞭打ちの事で、その名の通り鞭打つように打ち続けられるツービートのドラムサウンドが特徴だった。スラッシュメタルというジャンルは、特定のリズムパターン、特定の音楽性を指す呼称だった。

デスメタルはそのスラッシュをより過激にした、いわばスラッシュの子孫や分家だと初期は思われていたが、ここでパラダイスシフトが起こる。スラッシュをより過激に、と辿り着いたヴォーカルスタイルが余りにも強烈過ぎて、やがてデスメタルとはその声、"デス・ヴォイス"をフィーチャーした音楽を指すようになった。

ここからの音楽的拡散が凄かった。デスヴォイスが載っていれば何だってデスメタルとしてカテゴライズされてしまう為、様々なサウンドデスメタルの名の許に生まれてきた。ロックンロール、ハードコア・パンク、ジャズ、クラシック、民謡、アンビエントグランジ、テクノ、サイバー、エレクトロニカ、ゴシック、ヒップホップ…恐らく導入されていないジャンルはソウル/ブルース&バラードくらいじゃないかという位に様々な音楽が取り入れられた。デスヴォイスを導入、即ち歌を捨てる事で皆様々なサウンドにチャレンジ出来たのだ。

私は門外漢なので詳しくはないが、大体デスメタルと同じ時期、即ち80年代末から90年代にかけて、ラップ/ヒップホップの世界でも似たような事が起こったといえそうだ。ラップスタイルには基本的にヴォーカルメロディーがないので、トラックメイカー達は挙ってバック・トラックで実験的な事を試みた。歌から自由になる事で、サウンドの革新性と拡散・多様性が生まれたのだ。

残念ながら、歌を徹底的に重視する日本という国ではそういう現象はあんまりないな…と思っていたが、あった。流石にデスメタルやヒップホップほど先鋭的ではないが、サウンド・メイカー/トラックメイカーたちが結構のびのびと実験していそうな場所…それは、アイドルである。

皆さん御存知のように、日本のアイドルというのは壊滅的に歌が下手である。しかし、お金はある為高いギャラを払えるのが何よりも強みだ。ジャニーズが世界中から超一流のミュージシャンを集めてバックトラックを作ってきたのは有名な話だろう。

それが、演奏だけではなく作曲にもいえるのだ。ファンは別に歌とサウンドがどうのとかは考えない。自分のお目当ての人の声が聞こえればいいのだから、サウンドは歌に遠慮する事なく結構自由に遊べる。

リスナーとしても、だから、アイドルの楽曲をデスメタルやラップ/ヒップホップと同じように捉えると彼らの提供してくれる音楽を楽しめる。ヴォーカルをハナから諦め、そのサウンド・メイキングに耳を傾けてみよう。皆様々なアプローチを取っているのがわかる筈だ。ややマニアックな楽しみ方である。


このテーマは、実はヒカルのような「歌こそ命」な歌手についても重要な示唆を孕んでいる。これは、裏を返せば、歌の存在感を増せば増すほど、トラック・メイキング/サウンド・メイキングにおいて実験的な自由度が下がる事を意味するのだから。そりゃそうだ、皆絶品の歌を聴きたいと思っているのに、後ろでゴチャガチャチャカポコいろんな音を出されては堪らない。出来るだけ静かに、裏方に徹すべしと思われてしまう。

しかし、ヒカルは歌手であると共に作曲家、そしてトラックメイカー/サウンドイカーでもある。実験的なサウンド・メイキングにも挑戦したい筈なのだ。しかしそれをすると、自分の歌唱スタイルの幅を、本来の声質による偏りを飛び越えて広げていかなくてはならない。そのジレンマがじれったい。

ヒカルの声質は、例えばPrisoner Of Love桜流しのような楽曲には相性がいいが、Passionやテイク5では難しい。既にそういう楽曲をクリアしてきているから感覚が麻痺しているが、これ以上拡散した時にどうなっている事やら。作編曲家としてのチャレンジは、歌手としてのチャレンジにもなり得るのだ。

ただ、作編曲家としての可能性を捨てない為に、デスメタルやヒップホップやアイドルのように、"歌を諦めながらメジャーなレコードをリリースする方法"も、今後は考えていっていいのかもしれない。具体的な方法論は、まだ全然思い付かないのだけれど…。