無意識日記々

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色の白いは白々しいか

Hikaruの選択については何の心配もしていない。毎度言っているように、彼女の母親は人類史上最高の結婚の選択を成した人なんだもの。照實さんと結ばれてHikaruが生まれたんだからね。その血を受け継いでいるのだから、Hikaruに男を見る目がない筈がない。

という枕を多分今後も書きますよという宣言をしつつ。

結婚をした後でも、恋愛の歌詞は書ける。恋愛小説やラブコメ漫画の作者が既婚かどうかを気にする人はそんなに居ない。大体が、小説や漫画自体が面白いかどうかにしか興味がない。歌がなかなかそうはならないのは、本人が顔を出して歌っているからだ。そのヴィジュアルのお陰で、歌手のパーソナリティと歌詞の内容がリンクされて解釈されてしまう。役者がドラマの役名で呼ばれるようなもんだ。

歌う方も、一応はそれをわかった上で歌詞を書いて歌うものだが、ヒカルが前回の新婚ホヤホヤで歌った歌はCOLORSだった。あれは完全に別れの歌で、何でまたこんな歌詞なんだろうと思ったが年間3位の売上ではぐうの音も出なかった。

今回は、どうなる。COLORSで歌われた歌詞は、その4年後に現実になったな、と解釈され易かった。ヒカルがその事についてどう思っているか、だ。まるでそういった事は意識していなかった、と言っても白々しい。何をどう演出すれば、誤解も曲解もなく、歌の世界を楽しんでもらえるか。

解決方法は2つ。バカ売れするか、幸せな歌を作るか。売れさえすれば、歌詞なんてどうでもよくなる。COLORSがなかなかそういった切り口で言われないのは、大ヒットしたからだ。色の白いは七難隠すじゃないけれど、数の多いは万難排すのかもしれない。

幸せな歌を作る方はわかりやすい。ただ、そんな歌をヒカルが作りたいかといえば、そうでもない。それに、そういうのは出来れば2人が「おりどり夫婦」として万民に認知された暁に出して欲しかったりする。「どうせすぐまた別れるんだろ」という空気の中では、幸せな歌は素直に楽しめず、こちらも白々しく映るかもしれない。気にし始めたら案外繊細な問題だ。

あぁ、3つめの方法。「そういうの一切気にせず好きなように歌詞を書く」。出来れば、それでいい。しかしヒカルはそういう風にはしない。だから悩ましい。人前に出て自分の作った歌を歌うのは、結構難しいのだ。そういう意味では、最初はラジオのみのプロモーションとか面白いかもわからんねぇ。