無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

SWEET&SOUR HOUR

雪よう降るわ。涼宮ハルヒの消失でも見よかいな。いや長いな。

そんな時は熱くたぎるメタルがBGM。MANOWARやらKREATORやら来日してくれないかな〜。

とと、指が悴んでいるものだから指馴らしに全然関係ない事を書いてしまった。さてさて。

今はHikaruの言葉との距離感が結構難しい。各プロジェクトへのコメントはなくともツイートはあるし、1ヶ月あいてしまったとはいえラジオで肉声も聞けている。なんというか、それだけきけば身近ぢゃなゐかと思ふ処なのだが、案外、甘酔の突然の登場が距離感を狂わせているようだ。ラジオの特徴はリアルタイム性にある。熊淡は収録放送だが、ことある毎に@utadahikaru宛てにツイートを送るのが楽しい。なんだかんだでコミュニケーションなのだ。しかし甘酔は、あれは一体何なのだろうか。「何歳の時でも魅力的な女(ヒト)だな〜」と思わされるが、今のHikaruではない為、「この人とコミュニケーションを取ろう」とはならない。やっぱり昔、過去の時間なのだ。

しかし、我々の殆どがこの放送を聴くのは初めてである。普通なら再放送の類いというのは、昔懐かしい思い出話に花を咲かせ、前からファンだった人が新しく入ってきた人たちに昔はこうだったんだよ、と話して聞かせるのがスタンダードなスタイルなのだが、これが成立している空間は殆どない。そういう意味ではウチのタイムラインは奇跡的なのだが、一応一般的には、「みんなが初めて聴く宇多田ヒカルの若い頃に興味津々」状態が主流である。

或いはあれかな、友達んちに行って昔のアルバムを見せてもらうのに近いだろうか。あんたってこんなこどもだったんだねぇ、と。ふむ、確かに近いが何かが違うと思えばやっぱりここには「今の視点」がない。今のHikaruがこの番組に対して何か言わなければ、そういう風なやりとりが成り立たない。自分でボケて自分でツッコまない、ボケ倒しのまんまな気がしなくもないのだ。この微妙なニュアンス、伝わるだろうか。

そう考えると、照實さんの「Face TimeでヒカルとInterview(ミーティングね)」ってエピソードは、さりげなかったがかなり貴重な一言だった。ああ、ヒカルも15周年企画にいちまい噛んでるんだな、レコード会社が勝手にやった事じゃなかったんだな、という事がわかっただけでも大きな収穫だったのだ。出来れば本人が直接語ってくれるのがいちばんいいのだけれども。

そういう意味では、来週の熊淡の聴き心地って今から想像してもぞもぞするなぁ。「ゴシップとかいいから、純粋な音楽番組としての体裁を貫いてくれ」派の中でもいちばん色濃い私ですら、「なんかこの2ヶ月間色々あったから、軽く触れといた方がいいんじゃないの?」とちょっと思うもの。でないと、いきなり出てきて今からかける曲の話が始まっても何とも白々しいと言いますか。残念ながら熊淡を聴いている人々の殆どは宇多田ヒカルの好きな曲より宇多田ヒカルという人に興味があるのだ。

ここは、確かに、相変わらずちょっとした捻れではある。その人に興味があるのなら、その人の好きな音楽に興味を持つのが順番として自然な気がするが、なかなかそうはならない。実際にそう思って聴いてはみるもののやっぱりピンと来ないやという経験を皆持っちゃってるもんだからどうしたってそっちの興味が薄くなってしまう、というのもあるにはあるが、それ以上に、「社会の中での宇多田ヒカル」に皆興味があるのかもしれない。つまり、テレビや雑誌や新聞で大きく取り上げられる人としての宇多田ヒカルへの興味、という側面がいつまで経っても拭えないのだ。うーん、一般市民ならそれはそれで有り難いが、自らファンを名乗っておいてそれでは…確かにバスツアー企画しかねないな…少しわかる気がする。

そんな時に甘酔はもしかしたら特効薬かもしれない。まだ社会現象になる前の、バイト感覚のDJ。しかも2014年の今の空気と全く関係がない。現代という文脈を離れて、「宇多田ヒカルという人」をクローズアップするには、最もよい条件が揃っている。初聴きだから思い出話にならない。今のゴシップとも無縁だから、その人の人となりがダイレクトに伝わってくる…というか、そういう風に楽しむ以外ありえないのである。ファンがいちばん呟きたいのは、つまり、甘酔を聴き終わる度の「やっぱこの人好きだわ」の一言なのではないか。ちょっと意外な効用な気がする。現代という文脈を離れる魔法の1時間。皆様も明日土曜日13時からはInterFM76.1/76.5に周波数を合わせましょう。心の電波が、きっとあなたに届くはず。