無意識日記々

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ああ、そうですか。

熊淡が今月で終わりという事でまことにかなしい。そして後悔でいっぱいである。そして記事によると「宇多田ヒカル側の都合ではない」と。ほんまか。つまり、春の改編を乗り越え切れなかったということだ。嗚呼、4月から「Kuma Power Hour 2」と名前を変えて新番組を放送…しないよねぇ。

私は、世界で最も#kuma761のハッシュタグを使った人間のうちの1人だ。少なくとも使った"日数"では、他の追随を許さないと思う。そんな立場を踏まえて自戒するに、自分はこの番組に対する愛情表現がまるで足りていなかったなと思う。

今回の報を受けるまで気が付いていなかったのだが、私は自分が直接InterFMを受信出来る環境に居る為に、迂闊にも毎月radikoを受信するのを怠っていた。そうなのだ、radikoは今や、直接リスナー数を数える為には欠かせないツールなのだから、私は、放送自体はFMの電波で聴くとしても(タイムラグゼロだからね)、自分の持ってるインターネット受信機総てでradikoに接続するようにすれば、少しは聴取率UPに貢献出来たのかもしれないのだ。いやIPアドレスでカウントされたら無駄な所行ですけどね。何というか、聴取率UPとか、そういう観点が自分になかった。もし番組への反響が絶大なら幾ら休みが多かろうが打ち切りなんて有り得ない。もっと色々やっときゃよかった。

勿論、自分が何かをしたら結果が変わっていたかも、なんていう希望を持っている訳ではない。そんな訳あるか。そういう事ではなく、これは選挙に行ったか行かないかの違いみたいなもので、自分の一票で大勢が変わるだなんて思ってはいないが、一票を持つものとしての"意思表示"をちゃんとやったかどうかの話なのだ。私は自分を振り返ってみるに、Kuma Power Hourへの愛情表現が足りなかったというしかない。私はもっとこの番組が好きだったのだ。

無論今更嘆いても仕方がない。来週の放送も存分に楽しませて貰うよ。

元々、人間活動中に月1とはいえラジオ番組をやってくれるというのがこの上もない僥倖であり、天から降ってきたような地から湧いて出たようなウルトラ・ボーナスだったのだから、これが終わるからといっても去年までに戻るだけでどうという事はない。それに、今はITF2010もFL15もある。これをちゃんと味わうだけでも無意識日記は数ヶ月を要する。七年前はEXODUSの話だけで3ヶ月、100回以上の連載を書いた私なので、心にぽっかり穴が空く、という事もない。ただただ今は、もしかしたら熊淡が二年目も続いた未来があったかもしれないという詮無い妄想に浸ってしまっているだけである。ヒカルには、お疲れさまありがとう一年間よく頑張ってくれました、と言いたいけれど。もしかしたら本人は、3回休んだ事ばかり印象に残ってしまうかもしれないが、こちらからすれば放送してくれた9回こそが宝物だ。…そうだな、4月からまた毎月一年前の放送をリピートして楽しむかな。そうだな、そうしよう。

でもま、いちばん期待しているのはいつだって、新しい、今のヒカルの作る新曲だ。桜流しの次というとてつもないプレッシャーのかかる状況でどこまでやってくれるか。いつになるかわかんないけど楽しみにしていますよ、ええ。うん、そうですよ。