無意識日記々

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リリックビデオ

ザネッティが南極に行っている一方、Hikaruは一体何処に…という推理はまぁいいか。他の方々のを参考にしとこ。何か意図があるのかないのかクマ絡みだと途端にわからなくなるので何とも言えない。しかし、160万フォロワーともなればリプライリツイートとも結構な数にのぼるのに、今回のツイートは記事にしにくいだろうなぁ。記者の皆様お疲れ様です。

ちょうど今Hikaruが次に新曲を出す時にどういうプロモーションがいいかを考えていた所。恐らく、コストパフォーマンスを考えるとHikaruが直接新曲のUTUBEアドレスを呟く、というのがベストだろうか。Youtubeであればスマートフォン(ios,Android)、タブレット、PCとどの端末でも観れるし聴ける。下手にラジオで流してしまうより聴取者が多いかもしれない。"繰り返し聴かせる"という積極性ではラジオに譲るだろうが、コストとファーストインパクトならこれがいちばんだ。

こういう時、必ずしもプロモーションビデオが出来ているとは限らない、いや、そもそもPVを作る予定がない場合でも、近年では"リリック・ビデオ"という形態で曲を紹介する手法が目立っている。制作費や制作期間を考えた上で、どの端末からも皆が容易にアクセスできるYoutubeというインフラを、音楽を伝えるという目的の為に使うには、音声のみでは心許ない、かといってPVは用意できない、そういう条件の場合に発動する手法だ。

ただ、リリックビデオという呼称からもわかるように(?)、日本語の歌でこの手法を使うのは結構難しい。表意文字という特殊性と歌詞というスタンスとの相性では距離感の取り方が一定にはならないからだ。

Hikaruの場合、しかし、"多国籍の訳語"で構成されたリリックビデオなら作る価値はあるだろう。英語曲なら日本語訳が出れば日本のファンは嬉しいし、その逆もまた然り。フランス語やイタリア語などを筆頭に、タイ語インドネシア語など、Hikaruの人気が幾らか見込める地域へのアピールも出来る。PVがあるなら映像の訴求力があるから必要ないが、リリックビデオという手法を取るなら意義はあろう。

FrozenのLet It Goのように、20ヶ国以上の歌い手を雇える大プロジェクトは別として、英語以外の言語による歌がローカル以上の訴求力を持つ為にどこまで訳語字幕が有効か、また、どのような演出方法ならうまく伝えられるか、そういったディテールの詰め方によっては、結構な威力を発揮するだろう。特にHikaruの英語曲に敷居の高さを感じている向きには、英語字幕があるだけでも大分違う。日本語訳があれば尚更だ。一考の価値があると思うがどうだろうか。