無意識日記々

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あらゆる名前を繋ぎ合わせる力

Passionという曲のいちばん大きな機能は、宇多田ヒカルUtadaの橋渡しをした事だろう。その機能は光とSimple And Cleanでもよかったのかもしれないが、やはりこの2曲ではメロディーが異なっている為、PassionとSanctuaryの方がより向いていたのかもしれない。In The Fleshでのメドレーの話である。

Opening Versionの中間部が存在したのも奏功した。あそこで一旦流れを切り替えられる。日本語の歌と英語の歌を何語だかわからないパート(逆回転な)が繋ぐ。曲自体の普遍性に頼った構造である。

元々Passion自体がライブでは七変化可能な楽曲だった。Utada Unitedではafter the battleのような導入部からSingle Versionの大サビまで繋げてみせた。WILD LIFEではEclipseの変奏曲からの展開だ。自在なのである。

故に、この曲の存在感は今後更に増す。世界契約を手にしているHikaruが日本語と英語をどう配したアルバムを作ってくるかは様々なパターンが考えられる(当欄でも散々考えてきた)が、ライブでそれらの楽曲を演奏するに際してPassion/Sanctuaryはその切換力において頼られる楽曲になりえる。

例えばPassionからSanctuaryへ繋げたあとは英語曲を何曲か演奏し、Simple And Cleanから光へとバトンパスしてまた日本語曲へ、なんていう構成も可能なのだ。わざわざそんな事する必要が出る場面があるかないかはわからないが、海外でも日本語曲の人気は勿論高い。英語曲とのバランスを取れる手法は引き出しに沢山しまっておいた方がいい。

寧ろ課題は日本でのコンサートか。Utada Unitedではまるで英語曲3曲のパートが「Utadaというアーティストをゲストとして迎えたコーナー」みたいに分離していた。とても"United"と胸を張れる状態ではなかった。WILD LIFEではそもそも(カバー2曲を除き)総てが日本語曲で、英語曲の出番はなかった。時期的にも、Utada The Best騒動を起こしておいて同盤の収録曲を演奏するのに躊躇いもあったのかもしれない。

果たして今後も日本ではIn The Fleshのような"タガのはずれた"コンサートは見られないのだろうか。その鍵は、次のKingdom Heartsの主題歌が握る事になるだろう。今まで通りであれば、同じ曲に英語詞と日本語詞をそれぞれつけるだろうし、リリースも(Sanctuaryのようなややこしい事にはならずに)スムーズに運ぶだろう。これは、EMIレーベルと世界契約を結び現在ユニバーサル傘下に所属している強みである。

ここをハズしてはならない。日本と世界を繋げる可能性を秘めた曲になるのだから。それこそがUtada Hikaruである、という曲を書かねばならない。実際、第一曲は自らの名の字を冠した、というよりそのままの"光"であったのだから。この系譜は、あらゆる名前を繋ぎ合わせる力を持つのだ。幾ら期待してもし過ぎる事はない。どれだけのスケールでこの世界に普く染み込んでいくか、今から楽しみで仕方がない。