無意識日記々

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情熱と聖域の境から生まれる物語

Passionの発売から今日で8年か。…そんなに経ったのか、と言ってもいいような、まだそんなもんか、と言いたくなるような。そもそも過去なんて、すぐそこにそうして"在る"だけのものであって…というのが歌詞のテーマであるこの曲、色褪せるなんて事がある筈がない。

時代性を感じさせない曲だ。"聖域"をテーマにしたPVはいつ観ても素晴らしく、やはりきりくんこらぼ中"光"と並ぶ最高傑作であろうが、これも流行などとは無縁の場所、即ち人の心の聖域に在る。

そもそも、この曲自体、ここからの寿命を人類の文化と争う正真正銘の"クラシックス"なのだから、そんなの言う事自体が野暮なのだが、それでもこの曲をPopsとして市場にシングル・リリースした意義は大きい。

In The Flesh 2010 でも、Passion/Sanctuary に対する声援は大きい、というか特別である。コアなファンが詰め掛けたとはいえ、やはりニューヨークやロンドンに集まる人たちにとってKingdom Hearts シリーズは大きな出会いだったのだなぁと思わせる。この際、日本語で歌われようと英語で歌われようと関係がない。人の心の聖域に在るピュアな情熱と受難について歌ったものなのだから、届く人には届くのだ。

と理屈でわかっていても、やはり黄色人種も白人も黒人も誰も彼もが心底楽しそうにしている様を映像で見せられると、どうしたってこちらも顔が綻んでしまう。自分もあの中の一員だったのだなぁ、と感慨深くならずには居られない。

特に、この Passion/Sanctuaryは、日本語と英語の両方で続けて歌われるという点において、この、英語曲も日本語曲も分け隔てなく歌われる"In The Flesh 2010"というコンサートでは象徴的な役割を担っていたといえる。どちらかの言語をもう一方に混ぜ込む、という事はあっても、ここまで半々に歌ってしまう例は少ない。Utadaというアーティスト、いや、Utada Hikaruというアーティスト固有の事例だといえるだろう。

ひょっとしたら、"愛のアンセム〜Hymne a l'amour〜"の、ワンコーラスをフランス語で歌ってから日本語で次のワンコーラスを歌うという構成は、このPassion/Sanctuaryでの成功を受けて、という側面も、あったのかもしれないな。だとしたら、今後も多言語によるハイブリッドな歌がHikaruから聴けるのかもしれない。Utada United 2006でもオープニングを飾ったこのPassionという歌は、何をするにしても"始まりの曲"として存在し続けるのか。これこそが真のオリジナリティなのだろう。