無意識日記々

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翻訳コンニャク今夜食う?

「音楽は国境を越える」とよく言うが、これはある意味では真実でありある意味では絵空事だ。確かにある曲がこちらの国でもあちらの国でもウケる、なんて事はあるかもしれないが、例えば今あなたに好きな曲があったとして、今住んでいる家の向こう3軒両隣に住む人たちに同じ意見の人を見つけるのはかなり難しい。同じ国どころか同じ街に住んでいてもこうなのだ。単純に、国境という仕掛けは音楽的趣味嗜好と関係がない、とだけ言えばいい。そもそも越える越えないの前にそんな概念が無いのである。

しかし、歌詞のある「歌」となれば違う。国境という概念はしばしばそこで使われる言語の種類と相関する。歌は、擬似的に、かもわからないが、時に国境を越える"必要"が、出てくるかもしれない。

しかし歌に国境を越えさせるのは大変だ。他に言語を使うコンテンツ、小説やマンガ、テレビドラマや映画、ゲームといった類では"翻訳字幕・吹き替え"という技術がある。簡単ではないが、最終的には手間の問題だ。しかし、歌は言葉がメロディーと結びついているから、"字幕"をどこにどう置けばいいかわからない。これが大体致命的なのだ。

リリック・ビデオに、本来の歌詞に加えて訳詞も表示させるとか、なくはない。しかし翻訳を読みながら歌を聴くって結構難しい。遠巻きに訳詞をちら見してから歌を聴いて「へぇ、こんな内容を歌ってるんだ」と呟くのが関の山だ。


UtaDAには『光』と『Simple And Clean』、『Passion』と『Sanctuary』という同じ楽曲に異なる2つの言語(日本語と英語)を載せたバージョンの存在する例がある訳だが当然のように(?)単なる翻訳が歌詞になっているのではないし、『Sanctuary』の方などは『Passion』とは通低するテーマは同じかもしれないが表面的には"まるで別物"と言って差し支えない内容となっている。単純な翻訳作業で済む話ではないのだ。

一昔前までは、曲といえば音だけで売る、ついても歌詞カードくらい、という感じだったが、今なら新曲をアプリで出して、13ヶ国語でも23ヶ国語でも好きなだけ翻訳字幕を表示させ得る方法がある。そういうのを使うのも国際展開上はひとつの方法だ。今や配信で数十ヶ国のチャートに入るUtada Hikaruなだけに、新しい試みにチャレンジするチャンスはある。色々と考えてみて貰いたいものだな。と言っても、まともな翻訳を提供するのは並大抵の事ではないのですけれどね。