無意識日記々

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ファンだか客だか

「ファン」というのも妙なもので。いつまで経ってもカタカナのまんまなのだから元々日本語に、日本になかった概念なのではないだろうか。

英語から察するに"fanatic"、狂信者が語源ではないかという気がするが、その真偽は置いておくとしても、何となく西洋風というか、教義的な雰囲気を感じる。

ヒカルはかつて自分の事を、アーティストやアイドルというより寧ろ職人と呼ぶのがしっくり来ると言っていたし、2006年以降は「音楽家」という肩書きも用いている。

職人、と呼ぶとファンという存在はあまりポピュラーではないように感じられる。職人にファンがつく、というのもなくはないだろうが、殆どの人はその職人の仕事ぶり、作品のファンとでも呼ぶ方がしっくり来る。

もっと踏み込んで言えば、職人の作品のファンというのは一般的には単に「客」と呼ぶ。いい作品に出会えた、買って帰ろう、てなもんである。職人に対する態度というのは普通そんなものだ。


楽家という職人に対しても、普通に「客」という態度で接する事が出来ないものか。

CDアルバムの値段は、邦楽であれば3000円だ。庶民的なお店であれば、ディナーをフルコースで七品注文できる数字である。そのレストランで、マズい食事にしかありつけなかったら貴方はどうするか。その場はやり過ごすとしても後で「あの店は不味かった」「二度と行かない」と言うだろう。3000円も払ったんだから。いやまぁそれは250円の牛丼でも同じ事でして。これなら配信1曲分か。

「客」、或いは顧客、購入者という言い方でもいいのだが、レストランに来た客が料理人という職人に対してそういった態度を取るのであれば、音楽を購入した客が音楽家という職人に対してそうした態度を取るのは自然な事だし、事実我々も"特にファンだと思ってないアーティスト"に対してはそう振る舞っている。"おかしく"なるのは、その人のファンだと言い始めてからだ。

おかしく、というのは可笑しく言い過ぎたかもしれない。しかし、近年の邦楽を見ると、ファンばかりが目立っていて「客」という存在が薄れているように思われる。アイドルとアニメが目立っているが、アイドルに対してファンばかり、というのはわかりやすいが、アニメソングだって実は購入者の多くが「歌ってる声優のファン」なのだ。歌を気に入ったから買ってみた、という方が少数派だったりする。要はアイドルと同じ構造なのだ。比率の話なので、例えばAKB48の新曲購入者のうち"ファン以外"が例え5%以下だとしても十万枚近くの数字になったりして、それも凄い話なんだけどそれはさておき。


宇多田ヒカルが復帰するのであれば、音楽家として、この「客」を呼び戻す事、いや生み出す事が出来るかどうかが最も大きな課題なんだと思われる。職人と顧客。その関係性の中で売る事が出来るかどうか。

残念ながら、意外にも(でもないか)宇多田ヒカルはJ-popのアーティストとして見做されている為か、音楽ファン(これをファンと言うか悩ましい所だがここは慣例に従っておく)の皆様に新譜や新曲を真剣に聴いて貰える機会が少ない。ここで"ジャンルレス"という至上命題が裏目に出てしまっている。ジャズアルバムを作ればジャズの専門番組に、メタルアルバムを作ればメタルの専門番組に呼ばれて「客」(これも普通は"そのジャンルのファン"と呼ばれるんだよな〜)たちに音楽そのものを判断して貰えるだろうがヒカルはそういう事はしないだろう。あクマでもPopsとしての立場を貫く筈だ。


ここらへんのジレンマを潜り抜けないと、ここからのビッグセールスは望めない。しかし、「音楽を買う客」は減っている、というかもう殆ど居ない、特に日本のPopsに関しては。そこを掘り起こすだけの、生み出すだけの仕掛けがないものか、A&R陣の奮起を期待したい所である。