無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

今朝は気分じゃないの?

ラジオを聴いてふと思った。

「あれ、俺この子のこと好きじゃね?」

何を今更と言われそうだが、いやね、もし仮にあたしがフィジーかどっかの人で日本語がわかってそれでも何の予備知識も無くこの喋りを聴いたとしても局を回す手を止めてただろうなと。記憶喪失になって出会い直してもまたこの時からファンになってたろうなと。音楽的に卓越してるとか頭がいいとがそういうのもあるんだけど、単純にこの話し声が心地いい。

あたしがこんなところに居るのも元々この喋りをテレビで見て惹かれたのが切っ掛けだったので、つまり、あれだわ、ヒカルの魅力のエッセンスはあの頃から変わらないまんまなんだなと妙に安心したところがあり。

だって音楽の方はもう完全に化け物になっるんだものね。そこに宇宙を作る事に関しては最早神にも引けを取らないというか。そんな人外魔境な音楽家に成長しても宇多田ヒカル宇多田ヒカルのままというか宇多田光は宇多田光のままというか。久々に本名書いたな。あんまり触れない方がいいかな、商業音楽家として商品について語る方がいいかな、と最近思いがちだったので書いてなかったな。でも私「好きな四字熟語は?」って訊かれたら「“宇多田光”です。」って答える人だった。商品を超える商品を提供されて思い出しちゃったよ。

一方でますますその音楽に込められるパーソナリティは深化を続けていて。「宇多田ヒカルのニューアルバム発売!」となると音楽評論家の皆さんが「シーンに与える影響」を語ってくれて、それについては楽しく読ませて貰っているのだが、こちらとしてはそれはメインではなくてな。「宇多田ヒカルがシーンにこれだけのことをしてくれた」という切り口は、ヒカルを市場に対して従属的或いは奉仕的?な立場に置いた見方だけれど、私の方はといえば邦楽市場いやさ世界市場がぶっ壊れてもヒカルが無事ならそっちの方がいい。ヒカルに貢献しない市場なら潰れても構わない。明日から自分が路頭に迷うとしてもそこに迷いはないのです。

こういう考え方に興味が無いとリークに怒る気持ちも共感して貰えないのかもしれないな。ほんと、ヒカルを悲しませないでくれるかな。ラジオを聴いていてもやっぱり第一印象は「なんて優しい子なんだ」ですもの。昔に較べればはしゃぐこともおちゃらけることも控えめになって随分落ち着いたけどね。でも若い頃だって疲れてダルくなるとこんな態度だったんじゃないかな。今は仕事や子育てやプライベートで、どこにどうエネルギーを使うか自分で決めているのかもしれない。

なんだろうな、そういうことに興味や関心があるから、『気分じゃないの(Not In The Mood)』が心の奥底まで染み渡ったのかもしれないな。今までのヒカルの書いてきた歌詞の中でこれがいちばん好き。これから何十回とそう書く事になりそうだけど、ほんと好き過ぎてもう。寧ろ何故今までこういう歌詞を書いてこなかったのかと。ここには………って、あぁ、長くなるな。続きはまた今度だな。ラジオを聴いていろいろとしっくり来たなという話さ。