無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

我が儘が下手なまんまで19年

『人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる』とか『約束はもうしない そんなの誰かを喜ばすためのもの』とかヒカルは歌うが、はてさてその“先”はあるのだろうか。

普通はこんなことを言った後には「我が儘に生きる」のが基本だろう。自分のやりたい事を優先させる。ヒカルにそれがあるかというと…わからないんだなこれが。

楽家として家業を継いだ身としては、最早音楽活動は取り敢えず生きてる事と同義でしかなく、やりたいやりたくないの範疇にある概念ではない。「まず取る行動」でありやめるにはわざとらしく「休む」しかない。生業以上に生き方そのものだ。

だから「我が儘になる」と言ってもそれは音楽の話や音楽家としての話ではない。今更音楽家としての方針や態度を変えようという方が無理がある。他の、何かだ。それは、未だによくわからない。


「歌詞なんだから」と反論することもできる。それは今のヒカルの主張ではない、そういうモチーフがいいと思ったから採用しただけ、と言い張ってもいい。だが私はそうは思わない。『そんなの誰かを喜ばすためのもの』の歌い方には実感が籠もっている。本当にそう思えていない人間にあの歌い方は出来ないと思われる。

だけど、「2018年に力んで言うことなの?」とは思う。どこかで無理して僕らの期待に応えてくれていたとしてもそれを言って貰わないとわからない。そして、倒れる度に「無理すんなよ」と言い続けてきたのがこの19年だ。なんで今更『人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる』だなんて歌ってるんだろう、と思うよ。とっくにやめとけ。

であるならば、この歌詞は新しい世代のファンの為のものなのかもしれない。昔の自分がそうであったように周囲の期待に押し潰されそうになっている子達にエールを送りたくてこう歌っているんだとすれば少しは合点がいく。ヒカルは定期的にこのモチーフをまた取り上げるのだろうか。それならそれでいいか。でも実際の生き方は是非々々無理をしないで欲しい。健康第一でござるよ。