無意識日記々

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アイドル・アイコン・コンセプト

"楽団"というのは古来からあるシステムだろうが、"バンド"というのは20世紀になって一気に広まったスタイルであるように思う。

この、「演奏する全員が作曲に寄与する」というパターンは、例えば西洋のクラシック音楽にはみられないものだ。モーツァルトとベートーベンの共作、みたいな話はきいた事がない。どちらかというと作曲は文学に近い個人的な作業と見做されてきたのだろう。

バンドは、お互いに演奏しながらアイデアを煮詰めていく。私小説的な作曲活動とは異なり、出自からしてコミュニケーションが前提となっている。

その為、バンドサウンドは"共有"自体が非常に大きな意味をもつ。それはつまり、音楽が属人的ではなく、共有の出来る、特定の個人を一旦離れた"コンセプト"として定義される事を意味する。慣れてくればこれはジョン・レノンの曲、こっちはポール・マッカートニーの曲、と確かにわかるようになるが、何だかんだ言って人々の認識は「The Beatlesの曲」であり、それ故、ジョンの曲もポールの曲もひとつになって皆に愛されている。

これは、スポーツのチームを応援するのに近い。30年間一貫して阪神タイガースのファン、という人は珍しくもないが、30年前にプレイしていた選手は(選手としては)誰一人残っていない。つまり、実体としては既に全くの別物であり、彼が応援しているのは特定の人間ではなく、「阪神タイガースという概念」である事がよくわかる。極端な話、実体が何一つなくても、概念を共有する事でそのチームは存在しているとすら言える。

それを逆に考えれば、実は対象はチームである必要は、2人以上居る必要はない。1人や0人でも構わないのである。2人以上のバンドやチームだとそれは"コンセプト"と呼ばれるが、1人の場合それは"アイコン"と呼ばれる。エンターテイナーとしては、例えばマイケル・ジャクソンやマドンナといった存在。近年だとLADY GAGAだ。彼らは自らの存在を概念化し対象化した上で、世界の中にその概念を浸透、共有させる事に成功している。マイケルはもうこの世に居ないが、彼のスピリットはシステムとして世界に根付いていて、彼のイズムは確実に文化的遺伝子として世界に息づいている。

さて。こういう状況において、"シンガーソングライター"というのは微妙な存在だ。属人的で、誰にも真似できず、従って共有も継承も難しい。今その場限りに生まれる音楽。確かに、彼らが生み出した音楽はいつまでも残り人々から愛され続けるかもしれないが、それは"遺伝子を継承"するのとは全く異なる。いつまでも"同じ"ものであり、そこだけ時が止まっている。

Hikaruが自らの"アイコン化"についてどう思っているか、今はわからない。10年前に"UTADA"というワン・ワードでデビューした経緯があるからだ。そうではなく、シンガーソングライターという私小説家的な存在として自らを捉えているのか…そんな込み入った話はまた次の機会に。