無意識日記々

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Fragile〜The Night Watch_

「作詞作曲面で見せるあのふてぶてしいまでの自信は、普段のこわれやすく脆く繊細な心の在り方と隣り合わせなのだ。」という締め括りの仕方のエントリーを一編書こうと思っていたが、なるほど、そんな事は皆わかってるな。さっさと飛ばして次に行こう。

つまり、普段の発言においてはかなりの割合で彼女は「臆病なまま/傷つきやすいまま」なのかもしれない。心が弱っている時は誰だって取り繕って心を守ろうとする。問題は何故それが今なのかという事だ。

前回、多分最も望ましいのはおめでただろう、と書いたがそれはちょっとムシがよすぎるので他の方向で考えてみる。

この間、彼女の発言に嘘があろうとも気にするな、それが我々の幸せの為にはよい、何故なら彼女は保身というものをしないからだ、と書いた。しかし今回の彼女の日本語の発言は保身から出たものだ。初めて見た。慣れていないのだろうか、それも相当にド下手クソで、見事炎上と相成った。慣れねぇ事はするもんじゃない。

常に挑戦者で、失う事を恐れない、何故なら「生きてりゃ得るもんばっかりだ」と言い切れたから。しかし、今彼女は本当に心の底から守りたいものが出来たのか。だとしてもやっぱり思いっ切りまずいやり方だった。血迷ったとしか言いようがない。


それすらも、それすらも包み込もうというのなら、確かに貴女は新しいフェイズに入れる。しかし、私はそれはただの茨の道にしか思えない。ただひとつ、やっぱり人の親になるのなら話は別だが、そんな事では誰も守れない。自分さえも守れない。

それに、それをするとなると逆行である。「WILD LIFE」というキーワードと共に始まった人間活動は、1人の人間として、1匹の動物として逞しく自立して生きていく精神をうたったものではなかったか。それよりも"果てしない弱さ"をも包み込もうというのなら死ぬまで付き合うが、流石にそれで生きていけるの?という気分が拭えない。私は独りで生きていく力なんて無いと胸を張って言えるタイプだが、うーんそれはちょっとという気分。ザ・修羅の道だな。

果てしなく難解になった。平べったく聞こえる事を厭わなければこういう言い方が出来る。「そこからまだ優しさを広げようというの?」と。そこまで行くと、何だろう、生きている事すら束の間の幻に思えてくる。果たしてそこで死は正と区別がつくのだろうか?

最大の疑問は、あの、歌に携わる時の自信、生まれたものたちに対する確信すらも蝕まれていく中で、新しい歌を歌う事が出来るのだろうか? 今までのように、今日出来なかったから次の機会は2年後に、という訳にはいかない。今を逃したらもう、また生まれ変わるまで出逢えない。それは何かといえば現世での老いか滅びだ。綻んだ糸は、ひたすら解れてもう見る影もなくなってゆく。


この子のスケールは果てしなくデカい。どちらに転ぶのだろうか。そっと影から、いや、影として見守っていきたい…んだけど、これで果たして俺のやる気が出るのかね。ちょっとまだまだわからない。振り落とされたくはないと思っては、いるけれど。ぼくはくま〜♪