無意識日記々

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やさしいうたはいまどこにひびく

自分のTwitterプロフィールに「あなたへのメッセージ」という欄が作ってあって、そこには一言「いきとけ。」と書いてある。それに気が付いて、「あぁ、優しい言葉だな」と思い直した。自分の発した言葉に優しさを感じるなんて私生まれて初めてじゃあなかろうか。徹子の部屋道上洋三のおはパソと同い年なんだけど。

宮崎駿はことあるごとに「生きろ」とか「生きねば」と力む。それを見るたびに「あんた才能に溢れててその上大金持ちじゃないか。ほっといても周りがなかなか死なせてくれないよ」とついひねくれた事を言ってしまう。要は嫉妬なのだろうかな。しかし、「いきとけ」というのは何とも力が抜けて、気が楽だ。死んじゃう時は仕方がないけれど、取り敢えず今生きてるんだから生きておけばいいんじゃない。大体、死ぬのって痛いし辛いし苦しいし、生きるより大変なんじゃない?という感じ。「死ぬのすら面倒くさい」と思える心底怠惰なあなたにこそ相応しい。いやはや、すんません。

そういや、隣には「どうせなら 死ぬまで眠って いたいのに」という句も書いてあるんだっけか。消しちゃったっけ。忘れた。実際これが本音だ。もし宝くじか何かで100億円当たったらやってみたい。当たらなくても出来るけど。死ぬまでの期間がグッと短くなるだろうが。

何の話をしているんだ。

私の人生のうちの0.000000055%くらいに優しさを垣間見たところで、本当に心の優しい人の話をしておくか。宇多田さんちのひかるちゃんである。

彼女の持つ優しさに惹かれてここに居るという人は多いはずだ。極端な事をいえば、たとえ喉が潰れて歌えなくなったとしてもその思いやりと優しさだけは失わないでほしい、と思っちゃってる人も結構居るんじゃないの。歌手だよ歌手。でも、それはそれで本音だろう。

しかしもしかしたら、最近ファンになった人はそういう風には思っていない、或いはピンと来ていないかもしれない。ぐっとそういう発言が減ったからだ。いや、発言自体が減っているのだから割合としては変わっていないかもしれないが、、心の優しい子だなぁとしみじみ感じ入る機会は確実に減っている。子ってったってそろそろ32歳なんだけれど。

頭のいい所や音楽好き、いい音好きな面は、昨年Kuma Power Hourで沢山聴く事が出来た。しかし、お便りは一通も読まず、リクエストすら父の一件しか受け付けなかったもんだから、そういうひかるの人間性が垣間見れる場面なんてなかった。昨夏はメディアと親戚に振り回されてそれどころじゃなかった。今思い出しても辛い。もう一生ワイドショーは見なくてもいいや。あ、こないだワイドナショー見ちゃったか。ONE PIECEのせいだぴょん…。

今のひかるも、きっと心根はずっともっとずっと優しい。直接それが知れるのはくまちゃんとの会話だろう。あとは新しい家族たちからひとこと聞ければそれでOKなんだが、きっと悉くイタリア語なんだろうな…それがちと日本語人としては残念でありまする。