無意識日記々

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オリジナルアルバムとシングルコレクションの境目

おっとっと、前回の内容は肝心の前提の記述が抜け落ちていた。それは「昔の宇多田ヒカルのシングル盤のリリース枚数」だ。

何故オリジナル・フル・アルバム不要論(て言うても出たら買うんやで)を取り出しているかといえば、アルバムが出るまでにシングル盤が大量にリリースされているからだ。作品によっては半分以上がリリース済みというケースもあった。これだと、3000円出して新しくアルバムを買ってもお得感が薄い。今ならまだ持ってないのは配信で済ませよう、となる。6曲買っても1500円。それでも洋楽のフルアルバムと同じだけの値段になっちゃうんだけど3000円からみたら半額で済む。

これが、いきなりフルアルバムをリリースするというんだったら、いい。先行シングルを1曲、多くて2曲リリースしてすぐさまアルバムをリリース、というのならわかるのだ。それならそりゃアルバム買うわさ。しかしヒカルの場合、一年くらいかけてシングル盤を4枚5枚とリリースしてそれを集めてアルバムをリリースする。先述のように既にシングルを購入している人間にとってはお得感が薄く、また私のような人間からすれば、どうせなら1曲ずつ単体でリリースしてくれた方がじっくりと味わえてよいとも思えたりもする。12曲いっぺんにドンとリリースしてくれるなら、それはそういう作品として受け止め易い。

要は、シングルに較べてアルバムというのは感情移入が難しいのだ。歌詞に関しては1曲ずつにストーリーが独立して存在し、曲同士の連関は無い。くだんの"恋愛三部作"のようなケースは滅多に出てこない。

歌詞の上で明示的に繋がってなくても、アルバムとして集める事で「その時期の作詞作曲家宇多田ヒカル」の像が浮かび上がってくる、という捉え方も出来る。ならばその場合「オリジナル・アルバム」という形態でなくてよい。小説家のように「宇多田ヒカル短編集」「宇多田ヒカル全集」としてリリースし、必要ならばサブタイトルをつければいい。即ち歌手ならシングル・コレクションになる。小説家も雑誌掲載の短編を集めた上で書き下ろしを付け足す、というヒカルのアルバムリリースと同様の形態をとっているケースもあるが、バリエーションのひとつという感じがする。

そういう意味で、「Single Collection Vol.2」は過渡期的な作品となるのではないか。既発曲13曲に初収録曲5曲というバランス。ここらへんがあの時期としてはちょうどよかったという事か。ならば例えばVol.3は「宇多田ヒカルの大ヒットシングル8曲を収録!未発表曲4曲追加!」という形態になるかもしれない。これは、もう殆ど従来のオリジナル・フル・アルバムの延長線上にある作品といえる。つまり、既にヒカルのオリジナルアルバムはシングルコレクションの形態に近付いてきているのだ。

ここらへんのフォーマットのバリエーションは多岐に渡る。ひとつひとつのケースについてシミュレーションしたいところだがそれはまた別の機会に譲るとしよう。