無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

本音の引っ込み思案

タイアップは痛し痒し、とは前から何度か書いているテーマだ。ドラマの主題歌はドラマの知名度や出来に大きく左右される。最終的には歌の評価がどうなのかというところに繋がっていくが、それは秋元康産業だって同じだ。効率はよくないが、絶対値として、彼ら彼女らはジャニーズと並んで流行歌というものをそれなりに送り込んでいる。プロセスがどんどん冗長になっているのは、それだけ歌だけでは売れないという事の証でもある。

90年代にCDが沢山売れたと言っても、その多くがドラマの主題歌等に起用された事が大きかった。80年代のアメリカでMTVが担った役割を、90年代の日本では地上波テレビのトレンディードラマが担ったのだ。そういう意味では大体同じだが、対象が限定される為、ビルボードに較べてオリコンはヒットが一極集中になりがちだった。

そういう風潮は随分と廃れたが、それでもノンタイアップで新曲を売るというのは誰も得をしない方策である。私もそれを勧めるものではない。ドラマの視聴率がふるわなくてしかし主題歌は大ヒット、とかならわかりやすいがそれで喜ぶのもどうなのかと。結局、どんどん一蓮托生となっていて、その船団が泥船化して沈むか意気揚々と航海を続けられるかにかかってくる。そうなると全プロジェクトを統括するブレインの才能がますます重要になってくる。

WILD LIFEを"取り仕切った"宇多田ヒカルには随分と風格があった。彼女に音楽を超えるプロデュース能力があるのは間違いのないところ。しかしながらだからといって手広くプロデュースを手掛けるのかとなると、その作詞作曲歌唱能力を発揮する機会が減る。これもまた悩ましい。元々は裏方志向だから本人はそれでもよいかもしれないが周りはそれをよしとしないだろう。

こういう場合、もう一人二人天才が現れてガッチリとチームを組んで役割分担―という風にいければ理想的だが居るか居ないかもわからない人をアテには出来ない。まずは今居る人間で何とかするしかない。

もっと素朴なスタンスで音楽活動できたらな、というのが私の本音だ。「ずっと余計な事書いてるなぁ」と痛感する。新しく曲を書いてそれを歌うだけの話である。別に本当に売れて欲しいと願っている訳でもないし、曲を世に出してくれるならタイアップも大歓迎だし、秋元康氏にもそんなに興味はない。できた曲が売れるか売れないかなんて売ってみないとわからないのだから専門家であるマーケティング・チームにお任せするのみだ。Hikaruが歌ってこちらはそれに耳をそばだてる。それ以上の事は間を埋めるオプションでしかない。こういった"余計な心配"の数々には、私は本来興味が無いのである。そんな人間をある意味"駆り立てている"「宇多田ヒカルブランド」というのは本当に罪作りだ。しかしそれと共に生きているのはファンの側も同じなのだ。取り敢えずぼくはくまを鼻歌いながら待っていようかなっと。