無意識日記々

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Fine, Final, Finest

FINAL DISTANCE」の"FINAL"は"最終的な"といった意味を持つ。最初に「DISTANCE」が発表された時、「アルバムタイトルが小文字混じりのDistanceで曲名の方が全部大文字のDISTANCEなの? なんか不思議だな。俺だったら逆にするんだけど。」と思ったものだが、後にこの「FINAL DISTANCE」が発表された時に「なるほど」と合点がいった。この曲、どうしたって「Final Distance」と書くとイメージと合致しないのだ。全部大文字で書いた方がしっくりくる。なるほど、この曲に"繋げる"為に、DISTANCEはDISTANCEだったのだなぁと私は解釈していた。

総てを大文字で書いた場合は全体が固定化されたような印象を受ける。他を寄せ付けないというか。一方小文字混じりだと物事が流動的で、よくいえば変化に富み、悪くいえば不安定だ。"FINAL"=最終的な距離、というのだからそれは静物のようにピタッと止まったイメージでなければならない。だとしたら確かにFinal DistanceよりFINAL DISTANCEの方がすわりがいい。それが私の解釈したイメージだった。

しかし、改めて考えてみると、Distance=人と人との距離に"Final"なんてあるのだろうか。人と人が固定化された個性であるならば、素粒子がそうであるように、相互作用を繰り返した後最も安定的な配置=距離で安定するだろうが、人は常に変化し続ける生き物だ。今までずっと気があってきたのにいつのまにか袂を分かつ事もあるだろうし、近付き過ぎる程近付いたのに、まだまだもっと深く分かり合えると気が付いてもっともっと近付いていく事もあるだろう。人と人との関係性に"程良い距離感"が存在するとしても、それは固定化された距離ではなく常に変化し続ける距離なのだ。距離は時間の関数なのである。

そう考えると、我々は"FINAL DISTANCE"=最終的な、決まった距離に安定するのではなく、もっと流動的な"Fine Distance"をずっと探して生きているんじゃないかと思えてくる。或いは"Finest Distance"でもいいんだけど。こちらは、全部大文字で"FINE DISTANCE"と書くより小文字混じりに"Fine Distance"と書く方が余程しっくり来る。私のイメージの問題だが、流動性を表すにはやっぱりこっちがいい。

今のHikaruはどういう考え方なのだろうか。もしかしたら、DISTANCEの3作目としてFine Distanceみたいなタイトルの曲を書く事もあるかもしれない。でも、自分で言い出しておいて何だけど、これって曲タイトルにするにはそんなにカッコいいと思えないんだよね(^_^;) なので、ないかなぁやっぱ。