無意識日記々

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歌詞を読み解くアプローチの一つ

「歌詞の成立を動機から探る」というのはアプローチのひとつに過ぎないが、そこから見えてくるものもある。

書き始めた動機が明確な歌も幾つかあるが、まず取り上げるべきは"Never Let Go"だろう。「この曲の歌詞を書いた理由は?」と訊かれたらヒカルは「三宅さんに日本語の曲を書いてみないかと言われて、書ける事を証明しようと思って」と答える訳だ。動機が直接内容と関連するとは限らない。ジョン・レノンが「これは反戦平和の歌だ」と言うのならそれは書いた動機が内容に直結しているだろうが、そうでないケースも幾らでもある事だ。

国語の試験問題で「この時作者が何を考えていたのか答えなさい」というのがあって、「締切」と答えた、という流れが定番のジョークとしてある。更に捻って、出題文を実際に執筆した人を親にもつ子が同様な宿題を出された時に本人に直接訊いてそう言われた、なんていうのもある。どこまで本気か冗談か知らないが、それが作者の本音である事は間違いない。歌詞も同様で、「作らなきゃいけなくなったから」という動機が第一で生まれたものは多いだろう。

だからといって、その内容が"作詞者の伝えたいこと"ではない、という必要はない。「どうせ書かなきゃいけないんだったら言いたい事言おう」というのが第二段階の動機であり、そこから話は広がっていく訳だ。そして、歌詞が出来上がっていくにつれ動機の順序は無関係になっていくケースも多い。土台を作る為の仮の枠組みは、土台が出来れば取っ払ってしまっても構わない。


さて"Never Let Go"だが、まずこの曲で語られるべきは、Stingの"Shape Of My Heart"のフレーズがサンプリングされて使われている事だ。まず第一にヒカルが彼とこの曲が好きだというのがあるのだろうが、恐らく次の理由は、三宅さんが同曲を知っているという前提があったのではと推察する。自分でもその可能性は低いかなと思いつつ仮説を立ててみる。

三宅さんが同曲を知っていれば、このギターが鳴り響いた途端Stingが英語で歌い出すものと無意識に身構えるだろう。しかし、流れてくるのは女の子による日本語の歌。そのコントラストを狙ったのではないか。ヒカルからすれば日本語の曲を書く事はおろか、普段からあまり邦楽を聴いていないとあって、強がってはみたもののどこから手をつけたらいいかわからない、ならばまずは英語曲のサンプリングから始めてみよう、となったのではないかと。

そんな(架空の)経緯から生まれた歌詞は皆さん御存知の通りである。真実とか極上とか、文脈も作らずにこんな言葉を使ってくるあたり、確かに邦楽曲より日本文学を参考にした形跡が浮かび上がってくる。何故こういう言葉のチョイスをしたかといえば、まずこういう事を言いたかったのではなく、日本語らしさ、日本語ならではの響きといったものをこの曲に込める必要があった、というところから始めなくてはならない。こうやって動機に立ち戻って考えてみると、それが正解かどうかは兎も角、歌詞を違った角度から眺められるようになる。アプローチの方法としてなくはないのではないだろうか。