無意識日記々

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『初恋』まだ聴いてませんよ

あれ?こないだ40万目標とか書いてみたけど店頭をみると全然そんな雰囲気じゃない? プロモーション展開の仕方で推測したのと違うなぁ。或いは、2年前に較べて更に配信の比率が高くなったのかなぁ。ひとまず、新曲・新譜はストリーミングに乗っていないので、ダウンロードが下がるという所までは行かないと思っているんだが…。

うーん、邦楽の売上枚数に最近関心を払ってなかった(ってずっとな気がしますが)からなのか、感覚がズレてるな。今回出る数字をみて感覚を修正しなくっちゃだわ。

勿論、毎度言っている通り売上枚数なんて付け合わせに出てくるパクチーみたいなもんで、別に嫌いではないし無いと寂しいんだけどやっぱりメインディッシュがねーってコラボメニューはそのパクチーが主役に躍り出てるんだったな。今日は間に合わなくて食べれなかったのでまた次の機会に味わいたいものだ。

さて、まだアルバムを聴いていない私は中途半端な存在だ。誰からも必要とされていない時間帯である。凪、だな。好き勝手な事を書こう。

ヒカルは時代をわからないと言っていたがサウンドはそんな事無い。幾度か指摘してきたように、そのまま英米のチャートに載せても違和感のない曲、編曲、曲調も散見される。それはそういうスタッフを雇っているから、と言ってしまえばそれまでなんだが、時代がわからないというのは例えば中世のルネサンス音楽ばっかり追究していてついつい「今21世紀なんですけど?」とツッコミたくなるような人たちの事を指すんじゃないのという私(勿論そういう人たち大好きです頑張れ!)からしてみたらモダンもモダン、最先端ではないけれど十二分に“今”の音を鳴らしている。インターナショナルな意味で。

日本の商業邦楽は独自の進化を遂げてガラパゴス化しているか、海外の流行を一周半遅れて取り入れてコピーし損なってるかというのがぼんやりとしたイメージなんだが、つまり国際標準とか最先端とかのニーズが少ない市場なのだった。そんな中でヒカルがイギリスの旬のミュージシャンたちと作り上げた『Fantome』から『初恋』までの楽曲は、邦楽のトップにありながら非常に異質、もっと言えば異様で場違いにすらみえる。聞こえる。

しかしその場違いさをヒカルの日本語が打ち消す。ここまでややこしく考えられた日本語歌詞があっただろうか。ギミック満載の桑田佳祐の歌詞も凄いけれども、真っ正面から日本語の美意識と向き合うその作風は、他の追随を許さない…というか、ヒカルがその位置に居るから他の日本語作詞家の位置どりが決まって落ち着くというか。椎名林檎桜井和寿は『初恋』を聴いてまた安心するだろう。宇多田ヒカルが居てくれてよかった、と。

このイギリス風のサウンドと極められた日本語の取り合わせはいつまで、どこまで続くかはわからない。また次に全英語歌詞の楽曲やアルバムを制作した時に、その位置付けは決まるだろうかな。ただ、ヒカルがどこまで何を「言語」に対して思っているか、それは不明、というか不明瞭だ。

というのも、今きっとじっとずっと息子の言語習得過程を観察しているだろうからだ。そこからの影響は高い確率で作詞に反映される。言葉の成り立ち、来し方行く末を見極めていく中で新たな発見がどれ位あるか。全く予想もつかない。「無意識の時代」に対する観察は見事だった。それ以上の洞察を今後期待するとしよう。