ヒカルの新作にはラップそのものとまではいかないまでも、ラップ寄りの歌詞が今まで以上に増えるだろうというのは、インタビューを読んでいても感じるところだ。
とはいえ、なんだかんだで邦楽市場ではラップの手法はそこまで主流じゃない。もう既に四半世紀くらい「Pop Musicといえばヒップホップカルチャーのこと」となって久しい米国とはえらい違いだ。
そういう市場でラップ的な、ラップ風のアプローチをする場合どんな切り口になっていくのかというのが興味がある。何より、『Too Proud』の日本語ヴァージョンが今のところ『Laughter In The Dark Tour 2018』の映像のみという状況が、なんだろうね、「事態の難しさ」を物語っている気がしてね。
いくらNetflixで配信していても、二時間のコンサート映像を全部観るなんて相当なファンだけなので、宇多田ヒカルの日本語ラップといってもそこまでイメージがあるわけでもない。
そして、ラップの手法では歌詞で歌われる事も変わる。シンプルに、言いたいこととか伝えたいこととか、そういうのが強い場合に効力を発揮する。唐突な自分語りが多いのも、自分のことを伝えたい人がとる手法だからだ。
それと、ニューアルバムの方向性としての『My Relationship with Myself.』というコンセプトが真っ向から対立しそうでな。
純粋なラップではないが、例えば『Automatic Part II』は唐突な自分語りで、そういったラップ/ヒップホップ・カルチャーとの親和性が高かった。ヒカル随一の自己紹介ソングで、レコード会社の変わった今パート3を作って貰うのも吝かではない。
でも、「自分自身の関係性」と言った時にどう「唐突な自分語り」をするのかってきっと結構難しくて。それやったらひとりでぶつぶつ自分に言い聞かせてる危ない人が一丁上がりなのだ。念仏を唱えてるのに近い。オムマニペメフム。ふむ。
ラップの歌詞の和訳なんかを読むと、昔から売れてる人達は自分らのゴシップを逆手にとったものが多い感じだ。真面目に聴いてる訳じゃないからよく知らないけど。ストリーミングによる即時性に合っていて、この5年ますますラップ的なヒット曲は勢いを増している。
そういう米国のと英国のはちょっと違っていて…というのが、ヒカルが前作でJevonを起用したり、なりくんとJ Husを聴いて盛り上がったりというのに繋がってきているかなとは思うが、それを更に日本語に落とし込むとなるとまだまだ課題が多そうだ。
ならば…と、英語歌詞の歌にならまだ盛り込み易いんじゃないかとはなるわね。今触れたJevonも、当たり前だけど『Too Proud』では全編英語でラップしてるし。じゃあ『Find Love』に、今度はヒカル自身の手で、いや口でかな?英語でラップしたパートが現れたら面白いかなと。
『Laughter In The Dark Tour 2018』での『Too Proud』のように、コンサートに来るような熱心なファンに対してなら日本語ラップも披露できるけど、邦楽市場という不特定多数に投げ掛けるフルアルバムの中ではまだ時期尚早かなぁ?というのが私の現時点での見立て。それならまず英語曲で自分でラップしてから…というね。それならコンセプトとも親和性を保てるかもしれない。というわけで今日も今日とて取り敢えず『Find Love』フル解禁早よ。(最早お約束の〆)