無意識日記々

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語尾砂漠の夜明けが瞼に映らない

『女の子に生まれたけど私の一番似合う色はこの色』の一節は、その直前に『ブルーになってみただけ』があるから、これはブルーの事なんだなというのは何となくわかる。ただ、このなってみただけの"ブルー"は何の青なのかと考えた時、結構ちょっとわからない。

憂鬱になってみた、というのが通常の解釈なのだが、そのままの流れだと憂鬱色の似合う女というキャラクターが形成されてしまう。もしかしたら、それでいいのかもしれない。前段がなければ、ただ単に青色が好きというポジティブなメッセージになるのだが、繋がっていると考えると「私なんて憂鬱ぶってるのがお似合いよ」という些か拗ねた様子になる。

となると次の『もう何も感じないぜ』も、どこかいじけた風に響いてくる。語尾が"ぜ"になっているのも、『女の子に生まれたけど』を受けて男の子ぶっている訳で、このうらぶれ感は尋常ではない。

次の『そんな年頃ね』は、やや唐突だ。性別の話だったのに今度は年齢か、と。一方でファンは"蹴っ飛ばせ"の『勝手な年頃でごめんね』を思い出すだろう。このヒカルの"年頃"の使い方を考えると、"その年齢に特有の振る舞い"というより、もっと短期間の"今そういう気分なの"といった感じの使い方だと考えた方がいいのかもしれない。

あぁ、あともうひとつ、『感じないぜ』の"ぜ"は、『歌うのはなぜ?』『離れてくのはなぜ?』『生きるのはなぜ?』『かまうのはなぜ?』の"なぜ"と語尾を揃えている、というのもあるな。


語尾ついでに、BLUEのメインの押韻を並べたてておこう。

『恋愛なんてしたくない』
『全然何も聞こえない』
『全然涙こぼれない』
『原稿用紙5,6枚』
『栄光なんて欲しくない』
『もう何年前の話だい?』
『幻想なんて抱かない』
『あんたに何がわかるんだい?』
『恋愛なんてしたくない』

見事に語尾が「あい」で揃っている。しかも多くが否定の"ない"である。こうしてみると『5,6枚』『話だい?』『わかるんだい?』といった歌詞としては一見奇妙な言い回しも、この「あい」の音の為だったとわかる。寧ろ、"あんた"という2人称は、この『わかるんだい?』という口調に合わせたものだったという順序で生まれてきたのかもしれない。だとしても依然この"あんた"が誰の事を指すのかは不明なままなのだが。

なぜここまで「あい」にこだわるのか。「青は藍より出でて藍より青し」なんて言葉も思い出したが、流石にそういう裏テーマは無いかな。桜流しの歌詞の語尾、歌い終わりも「あい」で固められていて、その時は「すべての終わりに"あい"があるなら」と駄洒落で締めていた気がするけどそれと同じだな。ヒカルの元々の意図はともかく、そういう風に覚えておくのは構わないんじゃあないだろうか。ヒカル、そこらへんのことは、どうなんだい?