無意識日記々

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『BLUE』にみる宇多田ヒカルのイントネーション活用術

『キレイな人』の話に行く前に、「イントネーションの威力」の一例を取り上げておきたい。グルーヴ重視とのいい対比になるだろう。取り上げるのは皆さん御存知『BLUE』である。

この曲は、Bメロ(ブリッジ)がメロディ重視、サビメロ(コーラス)が歌詞重視─この場合は「イントネーション重視」になるわけだが─、という明確な役割分担が為されている。具体的に見てみよう。

『BLUE』のBメロとは以下の部分のことだ。

『もう一度 感じたいね 暗闇の中で

 希望が織りなす あざやかな音楽』

『もう何も感じないぜ そんな年頃ね

 道化師のあはれ まわりだす照明』

『もう一度 信じたいね 恨みっこなしで

 遅かれ早かれ 光は届くぜ』

『もう一度感じさせて

 技よりもハートで』

これらの箇所、皆さんも同じだろうかな、鼻歌で(ハミングで「ふんふふ~ん♪」と)歌おうとするとスラスラメロディは出てくるけど具体的に歌詞を歌おうとすると少し思い出しにくくないだろうか? なんとなく言い回しも凝っていて小難しい印象もあったりで。特に

『希望が織りなす』

『道化師のあはれ』

『遅かれ早かれ』

といった言い回しは、日常会話で耳にすることが余りなく、耳から聞こえるより目で見る機会の方が多い。その為、耳から聞こえてきても馴染むより違和感がまさる。

一方でサビメロはどうなっているか。歌い出しの所を切り出してみるとこんな具合だ。

『どんなにつらい時でさえ』

『恋愛なんてしたくない』

『全然なにも聞こえない』

『全然涙こぼれない』

『こんなに寒い夜でさえ』

『原稿用紙5、6枚』

『栄光なんて欲しくない』

『もう何年前の話だい?』

『幻想なんて抱かない』

『あんたに何がわかるんだい?』

どうだろうか。これらのフレーズは、Bメロのそれの異なり、メロディも歌詞も渾然一体となって思い出されないだろうか。Bメロのように、鼻歌で歌うのはすぐ出来るけど何て言っていたのかいまいち思い出せない…みたいなことはなく、必ずといっていいほど言葉のインパクトを伴って「歌」として印象に残っている。

これがイントネーションの威力である。この『BLUE』でヒカルは、サビメロの歌い出しに於いては必ず実際の喋り口調の時のイントネーションに近いメロディを宛てている。或いは(実際には)、そのメロディで表現できるイントネーションで話す言葉を次々に当て嵌めていったと言った方が適切か。兎も角、イントネーションとメロディが合致すると、歌が言葉として眼前に迫るインパクトを持つようになるのだ。

翻ってBメロの方は、話し言葉ではない言い回しも交えながらメロディ重視で、言葉の方も意味内容を重視した歌詞と音符の組み合わせで構成されている。サビメロの前に必ずこのパートを通過することで、更に対比をあざやかにしてサビメロ冒頭の言葉が聴き手の耳と心に突き刺さる構成になっているのである。

斯様に、ヒカルはイントネーションの重要性がわかっていないのではなく、その威力を熟知した上で自由にイントネーションを重んじたり軽んじたりしながら効果的に歌詞を音符に載せていっている。この(従来からずっと持っている)巧みさを踏まえた上で、『BADモード』アルバムに於ける歌詞の技巧についても語っていくつもりですよっと。