無意識日記々

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遠い近影

人間活動突入以降、新しいマテリアルを出しても姿は見せない、という路線をヒカルはとってきた。結婚式はそれこそ例外中の例外で、特別サービスだったというべきだろう。

去年はKuma Power Hourが最新の"声"を届けてくれていたが、"動く姿"は随分とご無沙汰である。いざという時に随分違和感が出るんじゃないかという懸念が、丸四年ともなると、なくはなくなってくる。

実際、スマートフォンの普及以降、動画に対する敷居は極端に下がった。10年前、20年前は1人部屋にテレビ&ビデオがあるかないかだったのが、パーソナルコンピュータになりスマートフォンになり、一人々々の手の内に動画が収まった。Twitterで"動画を呟く"事も珍しくなくなった。そんな推移の中で"動く姿"を見せてきていない影響はどれくらいあるのだろうか。

ヒカルは、自身のヴィジュアル・イメージを固定化される事を嫌った為、ヴィジュアル・コンセプトに一貫性がない。地上波テレビに出る度に違う姿である。飛び飛びにしか出演…出現しない為、見てる方もあまりそれを意識していない。つまり、インターバルがどれだけ空こうが、それはそんなに影響ないんじゃないかというのが今の所の見立てだ。

見られるのは、圧倒的に体型と体重なのだろうな。太っただの痩せただの計った訳でもなかろうに皆確信的に噂を話す。それは、他に言う事がないからでもあるんだろうな。

動画の影響力は大きい。音だけだとつまらない、とかいう前にラジオを聴く習慣自体持ち合わせていない人間が多数派を占める中でも、動画の視聴は、テレビ視聴習慣の長年の定着によって随分と敷居が低い。

その動画が全然出て来ないのだから、いや、写真すら出てないんだけど、視覚に訴える事がない為、幾ら一年間ラジオをやろうが新曲を出そうが記念盤を出そうが、人々のイメージはアップデートされない。単純に、忘れ去られていく。テレビを観なくなったと言う人は多いが、その分Youtubeを観てるとか、そんな風な"移住"が進んでいるだけで、人の持つヴィジュアル・イメージに劇的な変化がある訳じゃない。Hikaruは、大体において、四年前のイメージに留め置かれている。

どこまで計算してこの戦略をとったのかはわからないが、もしかしたら、復帰後も、極力姿を現さない戦略が続いたりしないかなという心配はちょっとある。今の居心地のよさから意識的に姿を抑える、そんな風にも思える。ことによっては、昨年夏の事をずっと引きずっていくかもしれない。元々テレビ好きじゃないし。国際展開を考えると無理はあるが、そういう心境もありえるだろうなとは思う。キャラクター作り次第だからね。どうなりますことやら。